conix 個展 「conix flakes」
会 期:2022年1月27日(木) - 2022年2月10日(木)
時 間:12時-19時
休 廊:日祝
場 所:GALLERY TARGET
展覧会URL:
https://www.gallery-target.com/2022/01/17/conix-flakes-by-conix/
個人の見解としてですが、アニメ的な輪郭を持つ女の子、かつカラートーンで再現が容易そうなベタ塗りの色彩が特徴の作品はこの10年ほどで随分増えたと感じます。デフォルメ度合いに差はあれど、漫画家江口寿史さんのカラーイラストから始まる系統としてのアート表現という見方で、KYNEさんとかBackside works.さんなどです。デフォルメが進んで、より可愛い系にも進化していると考えると、当サイトでもレビューしたモニョチタポミチさんもその系統に入ると思っていて、今回レビューするconixさんも私の中では同じ系譜の中にあります。
ここまで来るとアートの新しいジャンルとして捉えた方がいいと思うので、そういった「ちょっと、似たもの」への批判をするわけではなく、むしろ、少しだけ見え隠れするそれぞれの違いに注目した方が、実は異なる文脈を持っていたりという面白い考察ができるのではないかと。
私たちが例えばアフリカンアートなどを見る時に感じる「アフリカっぽさ」のような、(例えばティンガティンガに見られる、モチーフを横から捉える視点はエジプトの古代絵画に通じるものがあるし、ケリー・ジェームス・マーシャルやアモアコ・ボアフォなどの、強い視線が特徴の人物とやや平面的で色面構成のような背景は、モダンアフリカンアーティストに共通しているように見えます) 一瞬、血が描いているのか、とも思えるような描き方の民族的クセ。前述の、アニメ的な輪郭を持つ女の子、かつカラートーンで再現が容易そうなベタ塗り表現、仮に命名すると「江口寿史イズム」は、日本人の民族的表現なのではないか。外側から見るとすごい「イズム」を持っているように見えるかもしれないのですが、内側で見慣れている日本人からするとごく自然に幼少期から馴染んでいる表現であり、conixさんも、幼少の頃から親しんだ漫画のデフォルメを軸にグラフィック的な要素をミックスし、自身の表現を確立されてきました。ミニマムな描写でありながら「可愛い」と感じさせるバランスの妙は、まさに漫画的表現の英才教育を受けた日本人がなせる技なのかもしれません。
この「江口寿史イズム」は、「キュビズム」のように明確な文脈を持って実践されたこと、とは異なるため、なんとなく「似ている絵が多い」と批判の対象になっちゃったりします。でも浮世絵だって、北斎と広重と、って似てるというより表現の様式ですし、そこを批判はしない。そして、すごく好きになると (専門家や研究者になると) 、それぞれの作者の差もわかってくる。当時の庶民にも北斎好き、とか、広重派とか存在したと思うのです。「江口寿史イズム」はそのように様式の一つなのではないかと思っているわけです。
理屈っぽくなりましたが、自然とその捉え方はされてきていて、conixさんの作品も元AKBの小嶋陽菜さんがファンを公言してコラボが実現し、「conixさんが描く女の子が一番カワイイ」と言及されています。そして、私もconixさんの描く女の子はすごく好みだし、僅かな記号の差で、ちがう女の子を描いてみせている点にも他の作家にはないアート作品としての魅力を感じています。
「Pin up Girl 1 〜 8」
アンディ・ウォーホルの「マリリン・モンロー」を想起させる並びです。
「Pin up Girl 6」
すまんが、君が一番ビッチに見える、、、。
ウォーホルはシルクスクリーンを用いて大量生産されるアートを登場させました。そこには作家の手からアートを切り離す意味があり、文脈があればアートは成立することを示したわけです。
さて、大量にアートマーケットに出現する、似たような「江口寿史イズム」の作品の中の文脈とはなんでしょうか。言い換えれば、文脈がない「江口寿史イズム」作品は今後淘汰されていくのかもしれません。
「Spray Girl 1 〜 9」
色だけでなく髪型も変わると性格がさらに違って見えます。記号の差です。
「Spray Girl 1」
私はこの子が一番タイプです。
「Spray Girl 2」
逆にこの子は一番タイプじゃない。
下の2枚はどうでしょう。前髪のぱっつん具合と髪の流し方、毛のうねり具合。とても僅かな差に見えますが、全然印象が違いますよね。美容院の宣伝かってくらい、髪型の重要性がわかる。
「Spray Girl 3」
「Spray Girl 4」
conixさんは人気作家のため作品はほぼsold outなのですが、この中から選ぶという行為があって購入を決めたのかと思うと、選ばれる「可愛い」であったり、選ばれる「女性性」であったり、そういうことを意識してしまいます。conixさんの作品の並びからは「どれが好きなの?」というような挑戦的なメッセージを感じるのです。
このシリーズも色と髪型とポーズと、あと僅かに目や眉毛の形が違います。
「Tremor 4」
私はつり目の女の子が好きなのでこれが1位。
「Tremor 2」
つり目+下がり眉。2位。
「Tremor 3」
これは一番苦手かも。あざとい気がするんだよなぁ。
「Tremor 1」
この子は逆に何も感じないかも。
「Stare 3」
「Stare 1」
ほぼ同じポージング。清純さとセクシーさは髪型と色で調整できるものではないと思っていたのに、、、。
「Flowing 2」
「Flowing 6」
こちらの2作品もほぼ好みの問題ですが、私はピンクの方が好きです。あざとさは同じくらいと思うけど。お尻好きか胸好きかの違い?
「Flakes 1」
「Flakes 2」
いろんな女の子がプロモーション動画のような切り口で一枚に収まっています。いや、可愛いんですけど、ちょっと笑えてくる。このおかしさってなんなんだろう?
「Flakes 2」(部分拡大)
右端のウインクしているエメラルドグリーンの髪の女の子。これが一番おかしさを感じる。なぜでしょうか? しばし、考える時間をください。
平面の部分拡大と全身、立体で見せた場合の感じ方の違いがこちらの3作品。立体はエディションで、フィギュアの需要があるから制作される、みたいなアートマーケット事情は置いといて、全く同じモチーフがどう違って見えるかということを論じたいです。
「conix girl 2022 up (green)」
これは女の子の表情が主題と思うのですが、いかがでしょうか。水着とお胸もまぁグラビア的な要素ですが、見たいのはこの表情ですよね?
タイトルに(green) とあるように、同作品のカラー違いとしてblueやpinkも存在しているようです。
「conix girl 2022 long (green)」
全身だとセクシーさがちょっと弱い気がします。やっぱり表情だよなぁ。人によってはこちらが良いという方もいるかもですね。お尻とふくらはぎのむっちり感が現れましたが、全身で見るとグラフィック的なかっこよさの方が出てくるような?
「conix girl 2022」 Ed.10
この立体を観て、先ほど感じたおかしさの理由がわかった気がします。これ、体だけは結構大人なんですよね。顔の大きさや、目や口のパーツは幼児なんですが。
「conix girl 2022」 (部分拡大)
顔の部分隠すと印象だいぶ変わります。
顔が幼児で体が大人なキャラクターは、アニメではそれほど特殊ではないのですが、conixさんの表現では、ピンナップというような、あえてセクシーに見せる格好をしていて、そこに10代の女の子が青年誌の巻頭で水着を着てそういうポージングをするグラビアっぽさがあり、そのことの滑稽さをクローズアップさせているように感じるからかもしれません。セクシーじゃないのにセクシーに見せている違和感、滑稽さ。
conixさん自身にそういった批判的意図はないかもしれませんが、作品をみると「消費される女性性」「消費される歪な可愛さ」を意識してしまいます。conixさんの性別は明らかになってませんが、おそらく女性じゃないかなぁ。
グッズもあります。
私が穿った見方をしている可能性も大いにありますが、日本特有の文化、アニメや漫画、アイドルやグラビアの表現について、ちょっと意識的に考える段階に来ているのかもしれません。
可愛いし好きな顔だから観に行きましたが、その魅力はそのままに、隠れたメッセージを感じさせる展示でした。
ぜひ、足を運んでみてください。
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