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感想 MOYAN 個展 「FIGUREHEAD」

 

MOYAN 個展 「FIGUREHEAD」

 

会 期:2022年2月8日(火) - 2022年3月31日(木)

時 間:12時-18時30分

休 廊:日祝、隔週土曜(2/12,2/26,3/12,3/26はOPEN)

場 所:un petit GARAGE

展覧会URL:

https://www.instagram.com/p/CZUEv27vqCj/


 

MOYANさんは1991年生まれ、2020年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程油画技法・材料研究分野修了。在学中より「DOLLs」(un petit GARAGE、2017)など、「人間劇」をテーマに人形をモチーフにした絵画を制作、発表されています。リカちゃんシリーズを思わせる人形を使って描き出されたシチュエーションやイメージから、家族観、ジェンダー等の問題が浮かび上がってくる作品です。

 

MOYANさんから遅れて2021年頃から、大人がリカちゃん人形等で遊ぶ「リカ活」などが世間に広く認知されるようになり、「現実を生きるリカちゃん」など、現実世界にありそうなシチュエーションを人形に演じさせることで可笑しみや共感を得るSNS投稿なども増えています。私も実はシルバニアファミリーが好きでして、ちょっと大人っぽい現代風の服装にアレンジして楽しんでいたところ、あの、寸胴の、性別のない個体に、おしゃれなデニムを穿いた女の子のイメージで服を着せたとたんに男の子に見えるという現象が起こり、身体の特徴を皆無にしたシルバニア人形には「スカート」「リボン」などのジェンダーアイコンが必要不可欠であるという衝撃の事実にぶち当たったりしました。私たちが人形を使って無意識のうちに演じさせていることの中にはそういったジェンダーアイコンであったり、社会の中の役割であったりと、社会問題に直結した根深い価値観が少なからず表れていると言えます。そのことをいち早くアート作品に昇華して示したのがMOYANさんの作品と言えるでしょう。

 

そんなMOYANさんの作品の中には「首がもげている」場面が散見される、と指摘されたことなどをきっかけにして、拡大して取り上げたのが本展「FIGUREHEAD」です。

 

「風速30m」

リカちゃんの初代ボーイフレンド、わたるくんをフリマサイトで発見し購入、シチュエーションを組み立てて描いたという作品  (ウィンドウ越しに撮影したため向かいのお店のサインが写り込んでおります) 。


 

「風速30m」(部分拡大)

初見ではこのわずかに上がった口角が不気味に見えました。調べてみたらリカちゃんの歴代のボーイフレンドはそれぞれがかなり時代を反映していて、バブル感があるものとか、いかにもサッカーしてそうな時代とか、おしゃれなピアス男子とか、2016年からのはるとくんはシルバニア現象というか、顔のバランスもジェンダーを感じさせない仕様になっていてたいへん興味深いです。ボーイフレンドにみる歴史、すごい。

 

「風速30m」(部分拡大)

わたるくんの見開かれた瞳、うすら笑い、ありえないほどに曲がった首、にかかったゴールドメダル、、、その視線の先にある首、赤ちゃん。わたるくんがシリアルキラーに見えたのです、あんたが殺しのナンバー1! 的な。風速30mあったら人形の世界では普通の光景かも。このままくるくるっと首がすげ変わったりすることもあるのかも?


 

「Figurehead」

首のない雛人形は江戸期のもの。首のない状態でオークションサイトに出品されていたそう。剣などの付属品もあったそうですが身に付けさせられないほど人形自体がボロボロだったとのこと。20cmくらいの高さがあり、前に置かれた頭部は全く別の人形のもの。

 

「Figurehead」

首がないのに不思議と不気味さは感じませんでした。

MOYANさんはこれらの首がない人形について「解放感を感じた」とおっしゃていて、それは愛でる対象や、遊ぶための玩具や、飾って楽しむもの、という役割からの解放、純粋な「もの」として存在しているという意味合いでした。だからこその、鮮やかなピンク色の背景と、不気味さが感じられない画面なのかもしれません。

首がなくても雛人形と分かってしまうのは日本人特有の慣習から来るものですね。海外の人はどう捉えるのか興味あります。


 

「Figurehead」(インスタレーション部分)

添えられた全く別の個体からの頭部。引き出しにも頭部。

 

「Figurehead」(インスタレーション部分)

覗いているのは五人囃子の首。私には、内裏雛に代わってすげ替えられるのを待っているようにも感じられました。顔がこれらに代わったら、内裏雛とは認識されないのでしょう。


 

「Figurehead SketchⅠ」

 

「Figurehead SketchⅡ」


頭部だけの状態の「もの」に対して、顔や髪などの記号から私たちは意味を読み取ろうとします。顔の描かれ方や髪の結われ方などはただの記号に過ぎないのですが、それが何か「分かる」ということはどういうことなのでしょうか。民族的な出自やジェンダーの刷り込みを意識させます。

 

 

「Played」

こちらのリカちゃんは、ピンクの髪も、もげた首も、まさにこのままの状態でフリマサイトで販売されていたそうです。首がもげるまで遊んだ、というポジティブな印象が画面から伝わってきます。

 

アイラインとまつ毛が油性ペンで描かれています。すごい分かる!これ、やったなぁ。化粧に憧れて、または、もっと可愛くしたい!なんて思いながら。


 

「eyes」

一瞬チャッキーかと。こちらは寝かすと目が閉じる仕掛けの人形。MOYANさんの親戚の子が遊び倒した末の姿をお祖母様の家で発見。前髪はカットされ、謎のニキビ跡のようなものがおでこに散見されます。そして寝かすと片目だけ閉じるように。これを壊れたものと見るのか、楽しげにウィンクしているように見るのか。


 

「SketchⅡ」


バラバラ殺人風だし、手の数も多くて謎だらけなのに、恐怖や嫌悪感ではなく面白みが感じられるのは、それが単なる「もの」に戻ったからなのか?

 

 

人形の鼻と口。クローズアップして描くと唇を青くしても生身の人間をモデルに描いたかのように感じます。

下はドールプランターが描かれています。ドールプランターは海外で見られるもので、よくよく考えると死んだ「もの」である頭部に、生きた成長する植物の組み合わせはグロテスクなのですが、慣れ親しんだ古いものへの愛着なのか、「もの」として割り切ってSDGs的なリサイクル精神がなせることなのか、検索するとなかなかグロい見た目のものまであるようです。


 

「Parts」

これらの頭部はAmazonで売られている状態のもの。先ほどの、解放された、役目を終えた人形とは違い、これから何かになる状態のものです。何者でもないという点では同じです。なんだか魚卵のようにも見えますね。


 

「Candy PotⅠ」

単なる「もの」としての頭部がキャンディーポット内に。貼られているステッカーはキャンベルスープ。「もの」としてランダムに選べる状態です。

 

「SketchⅠ」

こちらは瓶詰め。


頭部がガチャガチャの機械に入れられています。黒いカプセルには本展の作品のミニチュアが入っています。5種×10エディション限定、一人一つまで。

 

「MOYANオリジナルガチャガチャ」


頭部がそのままガチャガチャで出てきたら面白いと思ったのですが、出てくるのが作品=これから何かになるもの、と捉えると、作品が受け取られて初めて「何か」になるということを表しているのかもしれません。

 

MOYANさんは実物を入手し、実物を見ながら描くそうです。作品「Figurehead」やガチャガチャなどに見られるインスタレーション表現から、絵の元になったセットもインスタレーションとして想像するととても興味が湧きます。

 

NFT=Non-Fungible Tokenを説明する時、FungibleとNon-Fungibleの違いとして、店頭に並んでいる商品としてのぬいぐるみを Fungible、子供の頃から一緒に過ごして思い出がいっぱい詰まったぬいぐるみは、たとえ新品が売っていたとしても替え難い、Non-Fungible と説明しました。これは何者でもない「もの」と、意味を見出された「者」の違いであると言えます。人形の頭部、というかなり限られたテーマにおいても、ただの「もの」が意味を得る時、失う時、そこから発展しての死生観や、見出される意味においての民族性や時代により求められるジェンダーの違いなど、様々な見方ができる興味深い展示でした。意味を見出されることは、重圧なのか、もしそうだとしたらそこに隠された自身と社会との受け入れ難い溝というものが存在するのかもしれません。社会的な問題の根幹には個人的な問題が存在します。

 

人形の頭部というテーマから感じ取れるものを確かめに、ぜひ足を運んでみてください。

 

 

 

展示風景画像:MOYAN 個展 「FIGUREHEAD」


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