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感想 我喜屋位瑳務 個展「CHILLDIE IIII」

 

我喜屋位瑳務 個展「CHILLDIE IIII」

 

会 期:2021年11月27日(土) - 12月25日(土)

時 間:13時-19時

休 廊:日月

場 所:FARO Kagurazaka Gallery

展覧会URL:

https://www.instagram.com/p/CWdZGfovk5d/


 

私は色気のある人物に弱いです。男性でも女性でも。この「色気」を感じるというのが、具体的にどこがどうだから、というのが言葉で説明しづらく、ゆえに私のフェチと見事に合致している人物画に出会えるとアドレナリンどばどば状態になります。増田恵助さんの描く女性や、高松明日香さんの描く男性などがドストライクです。

 

我喜屋位瑳務さんの描く女性に出会ったのは最近のことです。インスタグラムで偶然お目にかかったこちらの女性を見てぐっときました。

 

三白眼とか長めアイラインとか薄い眉とかTシャツとか斜め下から見上げる仕草とか毒入れてお企みあそばせてる?ところとかですね。


 

程なくドローイング展開催という情報を得たので伺ってきました。原画は、その場で購入、持ち帰りが可能とのこと。売れてしまえば観ることもできません。

 


 中央にそびえ立つ大きなゴールドの柱に、ところ狭しと貼られたドローイングたち。

 

笑。

 

トゥンク (ときめいた音です) 。


 

画集の表紙絵。

左下に見える「デフォルトで邪眼」な女性も魅力的。

 

いたー。


 

柱だけでなく壁にも。

 

初日開始1時間後くらいに行ったのにもう売れた作品があったようです。どんな絵だったのかなぁ。



 写真に収める際は他の来場者が映り込まないように撮ったので伝わりにくいですが、会場は大盛況でした。小さめの会場に大きい柱と大量の作品なので、前の方が移動するのをやや待つ形で鑑賞。

 

隣の会場ではキャンバスに描かれた作品や額装された作品が展示されていました。

 




 

またちょっと印象が違います。我喜屋さんは沖縄県出身。アメリカの占領下だった時代の影響が色濃く残る環境で幼少期を過ごしました。アメリカのテレビアニメが放送されているチャンネルをよく観ていて、その独特の色使いに少なからず影響を受けたと言及しています。1970年代〜80年代のアメリカのコミック誌や雑誌をコレクションしており、それらを見ながら妄想を膨らませてモチーフに繋げることもあるそうです。うっかり忘れがちですが、沖縄は1972年5月15日の本土返還までアメリカ合衆国の統治下に置かれていたんですよね、歴史をすっ飛ばしては文化は語れません。

 

色には他にも我喜屋さんのこだわりがあり、ドローイングで使用するアクリル絵の具の色は黒、白、赤、青、緑、黄色の基本色しか使わないと言います。感覚に頼るドローイングでは、混色時の考える手間を省き、描く勢いが削がれないようにするためです。絵の具は3色以上混ぜると彩度が落ちてしまいます。我喜屋さんは勢いや感覚のために少ない色数にしているということですが、混色を少なく保った結果、鮮やかで人を惹きつける作品へと繋がっています。

 

また、少年の頃、ジャック・ターナー監督「キャット・ピープル」をテレビで偶然見たことがきっかけでホラー映画にはまったとのことです。透けるような白い肌の三白眼の少女の目つきには、ホラー映画のスパイスがあったのですね。

 

本展ではドローイング集を販売しており、在廊中だったご本人にサインをしていただけました。

 


 

冒頭の女性の絵に心を射抜かれていた私は思わず、ご自身のタイプの女性を描いているんですかと訊いてしまいました。しばらく考えられてから、そういうわけではなく、描いていて楽しい顔を描いているとお答えいただきました。ゴールドの柱は、めでたい感じ。ドローイングと違ってキャンバスの作品はすり減らしながら描いている。ドローイングは息抜き。

 

彫りの深い強面のモヒカンヘアーの方ですが、目は優しく微笑みながら、真摯に答えていただきました。

 

我喜屋さんのSNSでの発信や過去のインタビューを辿るとわかるのですが、このように一見明るい画面を制作している反面、悪夢を毎晩見て、10年ほどパニック障害を患っていらしたということです。人とのコミュニケーションが苦手で、美容師を辞めることになってしまった経緯もあります。言葉を正確に選んで答えようとする様子に、誠実で繊細な性格が表れていると感じました。飼っているモルモットは癒しであり、「神」「友人」「家族」「恋人」「王」であり、モルモットを崇める個人組織「GUINEA MATE」まで作ってしまった。すり減らして作品を制作し、それでも観る人に楽しんでもらえるようなコミュニケーションを目指す。「いい絵がいっぱい描けた」というのが「生きていて良かった」に繋がると言う我喜屋さんにとって、ゴールドに光る柱いっぱいのドローイングは、正にめでたいことが具現化した姿なのでしょう。

 

美人画や愛玩品の表現がアート作品であるかないかの違いは何か。ただ、美しい、愛がある、というので合点がいってしまえば、それ以上のものではありません。「うまい絵ですね」「いいですね」だけではなく、人を突き動かすほどにアドレナリンを放出させるものは何なのか。我喜屋さんは、上京した後10年はイラストだけでは食べていけず、沖縄に帰りたいと思ったこともありながら、コミュニケーションが苦手なためこれしかないという覚悟があったと言います。作品は作家から生まれたものです。その人の、あまり人には見せたくないような深層からアート作品は出てくるのだと思います。いっぱいのめでたい柱を観に、ぜひ足を運んでみてください。

 

 

 

展示風景画像:我喜屋位瑳務 個展「CHILLDIE IIII」

参考ページ:「Fika」無理せず、自分を肯定 我喜屋位瑳務がモルモットに学んだ生き方

       Wacom 我喜屋位瑳務インタビュー


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