· 

感想 福室みずほ 個展「Spur 遠 / 近景、線を渡す」

 

福室みずほ 個展「Spur 遠 / 近景、線を渡す

 

会 期:2022年5月6日(金) - 2022年5月29日(日)

時 間:水-土 12時-19時  日祝 12時-18時(最終日は17時まで)

休 廊:月火 (月曜が祝日の場合も休廊) 

場 所:Contemporary Art Gallery CHIKA 工房親

展覧会URL:

https://www.kobochika.com/homepage/html/exhibition_202205.html


 

福室みずほさんは1980年生まれ、筑波大学芸術専門学群美術専攻日本画コース卒業。抽象に見える画面の中に、自然の風景を感じさせる作品を制作されています。自然の営為と、自身の身体や感情との共通性を探ることをテーマに掲げている作家です。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その硝子窓は何を吸い込んで来たのだろう

 

鉱石の変質、透明になるまで

温度を、水をまとわせ

音も視線も全て

 

 

地下深くに流れる水のうねりを、巨大な岩の中で循環する熱を私は見ることができない。けれども生き物の骨格の正確さや石の造詣の美しさを見て、そこから膨大な時間や命の堆積を思い描く。

 

見えない場所で繰り返される自然の営為。その不安定なのに精巧な自然のシステムを描きながら自分自身の身体や感情の表現との共通性がないかと探っています。

時間や距離を超えて行き来する「遠 / 近景」の視点を持って、絵画の中で、描く行為によって遥か遠い場所と自分自身の関係性を作り出したいと考えています。

 

今回展示する『Spur』のシリーズはさまざまなモチーフに遺した人間の痕跡について特に意識した作品です。自然というシステムに連なって生き物の行為や感情が蓄積されていく様子を描きたいと思っています。

 

(会場に設置のステートメント文より抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

本展で発表されているペインティング作品からは洞窟、鍾乳洞、地層、というイメージ、ドローイング作品からは萌える緑、山中のイメージを感じました。

 

「spur22」

地層のようでも、洞窟の中から外を見た景色のようでもあります。

 

「no title」

福室さんが使用している絵の具は絵画制作ではあまり使われていないもので、レジンを色づける用途などで使用される油性溶剤系絵の具などが用いられています。

 

「no title」別角度より撮影

こちらの作品のオレンジ〜朱色に見える部分ですが、一色を用い濃淡で表現されています。光沢があり黒い部分と重なると漆のようにも見えました。実物は繊細な色の違いが感じられとても綺麗です。外の天候による光も中に取り込んでいるような作品。


 

「Circulate」

 

「Circulate」



「Circulate」(部分拡大)

線の表現。草木に見えましたが煙のようにも見える。人が野焼きを行うことで草木がより萌えるという循環を表しているのかも?


「Circulate」


 

「spur19」

 

「spur19」別角度より撮影


 

「spur21」

 

「spur20」


 

左:「spur 25」 右:「spur 24」

 

「spur 25」

 

「spur 24」


 

「spur 25」(部分拡大)

この奥には世界が広がってそう。


 

「spur 24」(部分拡大)

滲みと色の重なりにはずっと観ていたくなるような魅力があります。

 

この絵の具の質感は写真ではなかなか伝わらないですね。水彩ではない、ラッカーのようなしっかりした質感。


 

作品を観た印象だと、かなり早いスピードで描かれているのかと思いましたが、福室さんのツイッターに制作過程の動画が載っており、それを観ると、「書」を書くような筆の運び方でした。

 

「書」という視点から改めて作品を見返すと、山水画のような理想の風景や、内経図のように人体の構造を自然に喩えて表したものとの共通項があるかもしれません。一度そう思い始めると、赤い色やピンク色、ベージュなどの色が、血液や内蔵、脂肪といったものにも見えてきました。実を言うと、ちょっと「ソーセージ」というキーワードも浮かんでいたんですよね。

 

「spur 11」

 

「spur 11」(部分拡大)


「spur 21」

人体をエコー (超音波) を使って診た時の画像に見えてきました。

 

「spur 21」(部分拡大)


 

左:「spur 13」 右:「spur 12」

 

初見で感じたような外の自然、例えば洞窟や鍾乳洞、萌える緑という風景を眺めていたつもりが、実は自分の内部、肉や脂肪、血といったものを見ていたとしたら、すごい循環を感じます。ミニチュアのドールハウスを眺めていたら、窓の外に自分を観察する目があった、みたいなオカルト話っぽいですね。

 

この感覚は、物質を細かくしていった時に観察される、原子核の周りを回っている電子、の図が、恒星の周りを回っている惑星とか、惑星の周りを回っている衛星、の関係と重なって、自分達が認識できている世界が、実際には誰かの体内の一部分に過ぎない、または、自然の一部分に過ぎないのではないか、という考えに至る感覚に近いです。

 

冒頭に抜粋掲載した福室さんのステートメント「見えない場所で繰り返される自然の営為。その不安定なのに精巧な自然のシステムを描きながら自分自身の身体や感情の表現との共通性がないかと探っています。」という部分が急に理解できた気がしました。

 

本展の副題である「遠 / 近景、線を渡す」という部分から、恒星や惑星といったとてつもない遠景と、「身体」を構成する原子のようなとても細かい近景を繋ぐ視点を、画面上で表現しているのかも、と結びつけてしまいます。すごいスケール! (私見です)

 

もう一つ、「感情」の部分について、山水画から深掘りをしたいのですが、心象風景としての山水画、という考えがある通り、山水画には実存しない風景が描かれています。構図や水の流れなどを追っていくとトランス状態のような心地よさを感じるという人もいるくらいです。何かを感じる絵とそうでない絵の差は何か、という問いの答えを探る糸口になりそう。音楽を聴いて心地よくなる感覚と同じように、視覚情報のみから恍惚状態を作り出すというのは大いにあり得ることと思います。

 

これらの作品群を「福室さんの山水画」と見ると、具体的な風景や物質は描かれていないのに、滲みや重なりといった部分的な要素から、うねりや循環を思わせる構図にまで、とても心地よいものを感じます。私たちの「感情」が何によって刺激されるのかということを考えさせられました。

 

「Spur」の意味は支脈や拍車です。水彩のような滲みや流れからは支脈を感じ、うねりや循環、遠 / 近景からは感情や思考に拍車がかかるような展覧会でした。鮮やかでしっかりとした絵の具の質感も必見と思います。ぜひ、足を運んでみてください。

 

 

展示風景画像:福室みずほ 個展「Spur 遠/近景、線を渡す」


関連記事