桶本理麗 個展「いたい世界」
会 期:2022年10月22日(土) - 2022年11月6日(日)
時 間:12時-19時 (最終日17時終了)
休 廊:月火水
場 所:LIGHT HOUSE GALLERY
展覧会URL:
桶本理麗さんは東北芸術工科大学芸術学部美術科洋画コース卒業、FACE展 2019 損保ジャパン日本興亜美術賞展にて審査員特別賞受賞。2016年よりグループ展や個展などで作品を発表されています。
LIGHT HOUSE GALLERYさんのインスタグラムで前もって作品画像を拝見していたのですが、会場で実物を見て改めて作品に釘付けになりました。螺鈿 (らでん) も用いられた繊細な画面や、作品自体の存在感に引き寄せられる感覚です。
在廊されていた桶本さんに色々お話を伺うことが出来ました。
「山羊と風」(部分拡大)
おお、確かに滝が。
ピンク色の水彩で細かく描かれた花にも見入ってしまいますが、一番上の層に盛り上げて塗り重ねられた油彩部分があることで (画像右上辺り) 、物理的にも奥行きを感じる構造になっています。山羊の足先にはラインストーンも。女の子の顔というだけでなく手前から奥に広がる風景画でもある作品。奥地にある神秘の滝にたどり着く、というような物語も感じました。
桶本さんには、可愛いだけの女性は描きたくない、という思いがあるそうです。人間の表面だけではなくもっと内部の深淵を表現したい、ということと受け取りました。
私はこの作品に、山水画に人体の経絡の要所を表した「内経図」を連想しました。桶本さんは「内経図」を意識されたわけではないのですが、共通点が生まれていることに逆にロマンを感じます。自然の脅威が妖 (あやかし) の恐ろしさにリンクしたり、水の流れが身体を循環する血や気にリンクしたり。人間の共通意識の中に自然と人体の繋がりを感じる部分があるのでしょうか。
様々な画材を使用する桶本さん。その理由が記されたステートメントを以下に引用させていただきます。
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他者と接する時、できるだけその人が生まれ持ったものではない部分で互いを知り合いたい。
逃れられない属性を携えたうえで、どうあろうとしてきたのか、何を大切にしているのか。
本人にとってそれが叶えられる世界が心地いいものであるなら、
そのどこかには触れられるような作品を作りたい。
そう考えて、数年前からいろんな画材を使い作品を作ることにした。
それぞれの画材の制約やかけ離れた表情のおかげで、手の使い方がいろんな風に変わっていく。
その都度何かが自分自身に乗り移り、作品の中で喧嘩をしながら仕上がっていく感覚があった。
自分の描こうとするものに対してそのような態度を取るのは優柔不断かもしれない。
何かを肯定しようとすれば何かを否定するかもしれないことを、過度に恐れているだけかもしれない。
全てが肯定された心地よさを求めながら、
そのような痛みが絵の中に存在していることを認めながら、作品を作っている。
(桶本理麗「いたい世界」 会場掲示ステートメントより全文)
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異なる画材と異なる世界観のように感じられるモチーフ同士の、バランスの取り方がすごいと思って観てきましたが、「作品の中で喧嘩をしながら仕上がっていく感覚」とあるように、そのバランス感覚は、桶本さんがもともと持っていた要素だけでなく試行錯誤の結果でもあるようです。「他者と接する時、できるだけその人が生まれ持ったものではない部分で互いを知り合いたい。」という初めの一文に、ぐっとくるものがありました。それは、「可愛いだけの女の子を描きたくない」という思いにも繋がっていると感じます。桶本さんには、VTuberのような「こうありたい」という思いの発露の、完全にヴァーチャルな存在を肯定する気持ちがあるそうです。確かに、持って生まれたものには「持って生まれた」という意味以上のものはありません。「こうありたい」という意志には、継続した努力だったり、その人の思い、考え方、最終的には人生が乗っかってきます。
様々な画材を使用する、ということを行う作家は多いと思いますが、桶本さんは、使用している画材それぞれの粋が感じられるまで調和を極めています。作品からは優柔不断さを全く感じませんでした。「工芸品」と感じたのは、何も螺鈿を使用している見た目からだけではなく、その手技の妙が、桶本さんによる「持って生まれたものではない」部分の、職人のような鍛錬の結果であるから、と言えます。
ご本人からどのくらい鍛錬を積んだ、というようなお話は伺ってないのですが、鍛錬の跡を感じさせないほうが技術は高い、というのが私の持論です。鍛錬や苦労ではなく、鑑賞者を、その表現されている世界そのものに集中させることは、高い技術のなせる技です。高度な技を、まるでそのように見せずにやってのけるということが評価されるのは、スポーツなどでもそうですよね。
展覧会タイトルは「痛い」と「居たい」がかかっているのかしら。理想や、「全てが肯定された」状態は、現実にはあり得ないヴァーチャルな世界でのみ実現されるもので、「痛い」と評されるかも知れないが、そんな世界にこそ「居たい」ということなのかなぁ。
これらは「壬寅 (みずのえとら) 」というタイトルがついています。今年の干支で、新しいものが飛躍的に成長する、という意味があります。
寅の顔が可愛い、、、。シルクスクリーンを用いた同じ図柄でも、色の違いで表情がこんなに変わります。持って生まれたものが同じでも、変化させることが出来る。
「深夜の蛍」
「沼の周りで起こること」
玉虫厨子の捨身飼虎図から着想を得たという作品です。
「オムライスとの生活」
オ、オムライスだ、、、! この作品すごく好きです!
単純化されたオムライスと、幸せそうに寝ている絵が、なぜこんなに見応えある作品になっているんだろう、、、?
「オムライスとの生活」(部分拡大)
テーブルクロスを思わせるチェック柄、周りを囲む太陽のような花の顔も可愛い。このモチーフだけでも、イラスト的可愛さと幸せの概念も十分に伝わって、完結しそうな主題なのですが、グラフィックデザイン的に配置された螺鈿細工や植物、幾何学模様と相まって、抽象的な概念の不思議な世界に引き込まれていきます。「オムライスとの生活」って、、、幸せを極限まで追求した概念ではなかろうか? 少し寝坊していそうな布団の中の人物がまだ夢の中でまどろんでいる、その最中に脳内で見ている景色のようです。
画材の使い分けが素晴らしいなぁ、と本当に感嘆してしまいます。オムライスや女の子の部分は水彩ではなくアクリル絵の具が使用されていてマットな質感がイラストと合っています。
「手紙を書く部屋」
壁紙から着想を得た作品。
それぞれの画材による表現の解像度が高い桶本さんですが、学部では油彩の専攻だったそうです。会場には油彩のみで描かれた作品もあり、イラストのように親しみやすい単純化されたモチーフでありながら、油彩の繊細さを感じさせる丁寧な表現力に、その他の作品との共通点があるように思いました。
「黒い花を摘む」
黒い花を摘んだ跡には色のついた花が咲いている? いや、黒い花は闇の中では光る花になるのではないか? 摘んでいる女性は目を閉じ、手探りで摘んでいるように見えます。
「みつばち」
桶本さんの作品に見られるキャラクター的表現は、現代美術の世界にアニメっぽいキャラクターが受け入れられてからの世代である、ということも影響がありそうです。お話を伺うと、このようなアニメ的表現は自身の中で培われてきたものであったにも関わらず、それを作品に持ち込むことには初めは抵抗があったとのことでした。しかし、あえて避けるということは不自然であるし、逆に囚われているという見方も出来ます。そのような理由からその抵抗を乗り越え、素直に表現するようになったのだそうです。同じような抵抗の経験は「キャラクター絵画」と見做される作品を描いている作家さんにとっては、微妙な違いはあっても、一度は通る通過儀礼のようなものなのかも知れません。たとえば、川獺すあさんは「キャラクター絵画について」展での図録内のインタビューで「(中略) キャラクターっていう言葉を自分で使うようになったのも最近で、それまでキャラクターっていうのが怖くて。文脈に乗っかるっていうのもそうだし自分がキャラクターっていうものを扱っていいのかみたいなところがあって、大学の講評とかでキャラクターとか言われると「人です」、「顔です」とか言ってたんですけど、そこがなくなってきた。」というような表現をされています。→ 参考:感想「キャラクター絵画について」
アートの世界にキャラクター絵画が存在している環境で美術教育を受けた「キャラクター絵画ネイティブ世代」には、アニメ的芸術表現に当たり前のように触れてきたにも関わらず、それを作品に持ち込むことに一種の抵抗がある、とするとその理由はおそらく、世代共通であるからこそ、アニメ的表現を採用しているという点だけで一つのジャンルに括られたくない、ということも関係しているのではないかと推測します。日本の現代美術におけるアニメ的表現は、ある意味で石膏デッサンのようなものになりつつあり、通っていて当たり前、それを作品内に持ち込んでいても、表現方法やその他の部分で評価し分類していかなければならないものと変わりつつあるのかも知れません。
その意味でも桶本さんの、まるで工芸品のような作品は新しいものと捉えることが出来ます。アニメ的表現は飽くまでも要素の一つであるというのが鑑賞者にも伝わってくる。ステートメントの「他者と接する時、できるだけその人が生まれ持ったものではない部分で互いを知り合いたい。」という部分にも繋がります。螺鈿、イラスト、グラフィックデザイン、油彩、水彩、アクリル、ラインストーンデコレーション、アニメ。そういった、2022年の現在までの文化がもたらした技法を、個人の意志により配分、調合したミクスチャーです。それら「全てが肯定された」状態として調和が追求されています。
色々と考えてしまいましたが、何よりも、実際に観た作品の、吸い寄せられるような魅力がそうさせたのだと思います。技法の調和の妙を観に、ぜひ足を運んでみてください。
展示風景画像:桶本理麗 個展「いたい世界」
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