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感想 西村昂祐 個展「Transform」

 

西村昂祐 個展「Transform」

 

会 期:2022年11月3日(木) - 2022年11月20日(日)

時 間:木金 13時-19時  土日祝 12時-18時

休 廊:月火水

場 所:biscuit gallery 3階

展覧会URL:

https://biscuitgallery.com/solosolosolo-vol3/


 

本展は biscuit gallery さんのトリプル個展「SOLO SOLO SOLO vol.3」で開催された 3名の作家による個展の感想記事の1つです。それぞれは独立した個展なので、別記事になっています。

 

参考動画:アートが生まれる『場』に出会う【OPEN THE DOOR】新井碧・南谷理加・西村昂祐

 

 

西村昂祐さんは1999年生まれ、大阪教育大学芸術表現専攻卒業、2022年より東京藝術大学大学院油画第六研究室。デカルコマニーという手法を用いて、大衆に知られているイメージが変形していくさまを、絵の具の物質感を伴って表現しています。

 

デカルコマニーとはなんぞや、ということですが、フランス語で「転写」を意味する言葉で、小さい頃にやった「半分に折った紙の片側に複数色の絵の具を多めに置き、閉じて圧力をかけて開くと幻想的な模様が現れるアレ」もデカルコマニーです。美術史的には、作家の作為よりも偶然性を重視し自動筆記なども用いた「シュルレアリスム」の流れで、オスカー・ドミンゲス (1906 - 1957) によって絵画に導入されました。西村さんの場合は、元のイメージをプリントしたものに絵の具を載せ、別の支持体に転写する方法を採っています。以前の作品で用いられた元イメージには、モナ・リザであったり、写楽の浮世絵だったり、ドラ○もんやサザ○さんのアニメのシーンなどがありました。デカルコマニーの方法自体に「複製」に近いものを感じ、イメージが複製され消費されていくことにより変形していく現象と自身の制作を重ね、そういった、広く認知された元イメージを選定していたそうです。

 

 

本展「Transform」では、アニメキャラクターのようなモチーフが菩薩のタイトルと共に発表されています。

 

 

西村さんは本展で、もともと1つのイメージから転写した作品群を展示しているそうですが、モナ・リザや浮世絵と違って、鑑賞時には本展の元イメージが分からず、「どうやらアニメのキャラクターでセーラー服を着ている少女のようだ」ということしか掴めませんでした。各作品には「〇〇菩薩」というタイトルがついていることから、セーラー服を着たキャラクターで「菩薩」がキーワードになるものを調べてみたところ、KADOKAWAから出版されている推理小説のシリーズで〈古典部〉シリーズというのがあり、その一つ『ふたりの距離の概算』の中で「千反田える」という登場人物が「千反田先輩は菩薩みたいに見えますよね」と言われている、というのが一番可能性があるように思います。

→参考:wikipedia ふたりの距離の概算

未読の作品ですが、wikiを見る限り、どうやら重要な台詞のようですし、行き違いがあったようなので、「イメージの変形」というテーマにも重なるような話なのかも知れません。

 

この元イメージの予想はなかなか正解に近いのではないかと思っています。拾い画の、アニメ化された「千反田える」をデカルコマニーの手法に倣って反転させたもの、と、本展に展示されている作品で原型に近いと思われる「如意輪観音菩薩」、との比較画像が以下です。

 

webから拾った「千反田える」を反転したもの

 

「如意輪観音菩薩」


 

本展の作品の多くに背景の窓枠が現れているな、とは思っていたんですが、髪型やセーラー服の形などもほぼ同じに見えます。正解を当てることが主ではないので、まぁ良いとして。ジャパニメーションの一般的なイメージとして捉えても良いし、「菩薩」のキーワードから分かる人には分かる、でも良いし。何よりも、今の私たちが想起する仏像の「菩薩」も、仏像が制作された当時からしたらキャラクター化されたものだったとも言え、反対に、未来の世界では、この小説内の「菩薩みたいに見えます」という台詞をそのまま解釈して、菩薩の形状はこのようにセーラー服を着た黒髪の少女である、とされる可能性もないとも限らない。西村さんの作品で提示される「イメージの変形」というテーマの、過去から現在までの変形だけでなく、過去と未来の中間地点としての現在、ということがより意識的に示されている、と思いました。現代の私たちが思い浮かべる、仏像の「菩薩」イメージが各作品タイトルから想起され、ひょっとしたら未来人が「菩薩」とするかもしれない「アニメキャラクター」がさらに変形していく様子が画面で提示されていて、そのギャップに鑑賞者が戸惑う、という「イメージの変形の過渡期」が体験出来ます。

 

さて、元画像が上記だったとして、そのイメージは本展の中だけでもどこまで変わっているのでしょうか?

 

 

 

左:「日光菩薩」 右:「月光菩薩」

 

「日光菩薩

元のイメージ画像の平滑な質感が、絵の具という画材によって立体的に変化していることもも西村さんの作品の魅力です。盛り上がりや転写した際に現れる皺のような形状が「意図せず生まれたもの」≒「意図せず変わっていったイメージ」ということに繋がっています。

 

「月光菩薩」

日光の対になる月光。写真のネガのような色合いです。

転写によって2つ出来るということに着目し、対になるイメージや制作のプロセス的に関連があるものを、横に並べたり向かい合わせに展示している、と動画「アートが生まれる『場』に出会う【OPEN THE DOOR】新井碧・南谷理加・西村昂祐」の中で言及されていました。


 

 

 

左:「月光菩薩 (2) 」 右:「日光菩薩 (2)」

 

「月光菩薩 (2) 」

「月光菩薩」はネガのイメージです。メタリックな玉虫色の表現がかっこいい。元の少女の可憐なイメージがなくなって、かっこよく、妖しさを醸し出すまでになっている。

 

「月光菩薩 (2) 」(部分拡大)

絵の具の重なりや垂れたところ、液体として混ざり合っているところなど、描画材の質感に注目してしまいます。


 

「日光菩薩 (2) 」

ポジである「日光菩薩」。崩れた形状が画面に勢いを生じさせています。

思い出すのは、フランシス・ベーコン (1909 - 1920) が、バロック期の画家ディエゴ・ベラスケス (1599 - 1660) の「教皇インノケンティウス10世の肖像」を元に描いた「ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作」です。

元の作品 (1650年) から300年も経ってから制作された (1953年) その作品は、インノケンティウス10世の冷酷で狡猾とも言われる表情とその孤高の存在を誇張し、「叫び」そのものを描いていると言います。

イメージが誇張され、元のイメージから離れたものになっていくようです。

 

「日光菩薩 (2) 」(別角度より撮影)

実物の絵の具の盛り上がりはけっこうな高さがあります。クリームの角みたいで、触ってみたい衝動に駆られます。※触ってはいけません。


 

 

 

「弥勒菩薩 (2) 」

 

「弥勒菩薩 (2) 」(部分拡大)

下塗りのように塗られた絵の具の厚みの差などで最前面の絵の具の見え方が変化しています。

 

「弥勒菩薩 (2) 」(部分拡大)

人物は、もはや残像となったのか。


 

 

 

「聖観音菩薩 (2)」

ネガのほうの色合いみたいです。

 

「聖観音菩薩 (2)」(部分拡大)

絵の具が美しい、、、。色も艶も質感も。

 

「聖観音菩薩 (2)」(部分拡大)

元のイメージのことを完全に忘れてしまいます。


 

 

ちょうど正面に対になるような作品がありました。

 

 

「聖観音菩薩 (3)」

私はこれを観て、海面が歪んで異空間の入り口が出現したように感じたんですよね。

 

「聖観音菩薩 (3)」(部分拡大)

異空間の入り口。

 

「聖観音菩薩 (3)」(部分拡大)

地平線も歪んで重力もおかしくなっているのだと思いました。海面が縦になっている。菩薩の能力でこうなっているのか。

、、、という風に新たな解釈が進んで、菩薩は時空を歪め、重力を操ることが出来る、とかになっていくかも知れない。


 

 

 

「地蔵菩薩」

会場の入り口から正面に見える作品です。

 

「地蔵菩薩」(部分拡大)

制服が色反転したような部分は、心なしか悪魔的な笑みを浮かべた顔が上下反転で現れているようにも見えます。

 

「地蔵菩薩」(部分拡大)

窓枠が確認出来ます。菩薩のような顔はこちらです。


 

 

 

左:「如意輪観音菩薩」 右:「十一面観音菩薩」

何か、制作上の関連がありそうな2作品。

 

「如意輪観音菩薩」(別角度より撮影)

「千反田える」や〈古典部〉シリーズについて、実は全く無知なのですが、「えるたそ〜」みたいな愛称は聞いたことがあるぞ。


 

「十一面観音菩薩」(別角度より撮影)

同じような位置に絵の具の盛り上がりがあるような?

見た目的には画面の奥から何者かがこちら側を観察しているようにも見えます。


 

 

 

 

「聖観音菩薩」

この作品は、原型をある程度留めつつ、ポジでもありネガでもある、全ての折衷といった印象があります。

 

 

 

私が予想した元イメージについて、全く知らないということもあり、画面の印象のみの感想になっているのですが、一般的によく知られたイメージが変形することの背景には、このように、何となく受けた印象が独り歩きし誇張される、ということも起こっていると言えそうです。モナ・リザなんかはもう「美術」全体を表すアイコンになっていますし。でも、元ネタと予想した小説の「菩薩みたいに見えます」の真意って何だったのだろう? 機会があれば読んでみたいと思います。

 

元ネタが分かる方もそうでない方も、描画材による様々な表情や画面から感じる勢いを純粋に楽しめる作品群です。私たちが「菩薩」と言った時、各人が受け取る印象は果たしてピッタリと重なるのでしょうか? ぜひ、足を運んでみてください。

 

 

 

展示風景画像:西村昂祐 個展「Transform」


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