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感想 西川由里子 個展「じっ、と見つめて」

 

西川由里子 個展「じっ、と見つめて」

 

 

会 期:2022年8月9日(火) - 2022年8月21日(日)

時 間:13時-19時 (最終日17時終了) 

休 廊:会期中無休

場 所:BLANK

展覧会URL:https://www.blank-koenji.com/


 

西川由里子さんは1996年生まれ、日本大学芸術学部美術学科卒業。はっきりした色彩を用いたビンやリンゴの作品を制作されています。

 

私は以前に西川さんのビンの作品シリーズをSNS上で拝見していましたが、2022年6月に開催されたArt Studio NEAF グループ展でリンゴの作品もシリーズとして描かれていることを知りました。リンゴの作品を含む「Image Of Fruit」(2017年〜) は、ビンの作品を含む「Touch the spectrum」(2020年〜) より前から制作されていたシリーズです。本展「じっ、と見つめて」では、リンゴを描いた「林檎像」に絞って発表されています。在廊されていた西川さんに、ビンとリンゴは、全く違うコンセプトにより生まれたことなど、興味深いお話を伺うことが出来ました。

 

 

 

 

 

上右:「林檎像. 2」 中左:「林檎像. 1」 下:「林檎像. 3」

「林檎像. 1〜3 」は、ガラスに水性アルキド樹脂絵具で描かれています。

 

「林檎像. 1」

 

「林檎像. 3」


透明感があって、リンゴと分かるけれど不思議な感じがします。

 

 

上左:「林檎像. 5」 上中:「林檎像. 4」 上右:「林檎像. 9」

下左:「林檎像. 7」 下中:「林檎像. 6」 下右:「林檎像. 8」

 

西川さんは「林檎像」について、「イメージを増幅している」と言います。自身のルールとして果梗 (かこう:柄の部分) を描くという決め事はある、とのことですが、確かにその他の部分、筆致・マチエール・色彩などは捉われずに表現されているのが分かります。

 

この「林檎像. 4〜9 」が分かりやすいのですが、西川さんは「林檎像」の作品群はシリーズとして見せる、ということを意識的に行なっていて、鑑賞者に「どれが一番リンゴらしいと感じたか」という問いかけをすることもあるそうです。「色が一番リンゴらしい赤だったから」とか、「形が一番リンゴらしいから」といった答えがあり、人によって何をもってリンゴらしさを感じているか意見が分かれる、なかなかに興味深い回答を得られるようです。

 

そのお話を聞き、「逆に自分だったらどれが一番リンゴらしくないと思うかな」という視点で鑑賞してみました。

 

 

「林檎像. 5」

この作品は人によるとリンゴ飴のように見えるという感想があったそう。なるほど。私もこの丸いカーブや光の表現に無機質なものを感じます。

 

林檎像. 5」(部分拡大)

影と同化しているのか、この部分のみ見ると、特にリンゴ感を失う。果梗の有無が実はとても重要?


 

林檎像. 6

こちらも輪郭や色が、周囲にも散らばっているようで不思議な表現です。そして、梨っぽい色が基調となっているのに「梨」には感じないんですよね、、、。果梗の位置で判別しているのかしら?

 

林檎像. 8

林檎像. 5」と似た印象を受ける作品。こちらの方がよりリンゴらしく「なく」感じるかも? 私は「形」を見ているタイプなのかも。


 

なぜモチーフにリンゴを選んだのか、については偶然だったそうです。在学時のアトリエにたまたまあった、というようなもの。西川さんのリンゴには象徴的な意味合いは含まれていなく、あくまでそこに宿る「イメージ」の増幅に狙いがあります。ここで妙な気づきがあったのですが、偶然ではあるものの、果梗に特徴づけられるリンゴ、というモチーフが実はベストな選択なのではないかということです。会場には作品ファイルがあり、リンゴ以外にもトマトなどを描いた作品を観ることができます。2021年7月にはリンゴから様々なくだものに発展させた作品群を展示した個展「のっぺらの実」も開催している西川さん。私個人の感じ方ですが、リンゴ以外のモチーフを見ると「何が描かれているのか当てる」ような感覚になり、イメージの増幅を感じ取るというよりは、自分が思っている「くだもの」とのイメージのすり合わせ作業をしてしまうような気がしました。リンゴの「果梗」の存在は凄いもので、その位置や長さから、梨ではなさそうだ、とか、さくらんぼではない、という情報まで集約して私に認識させているようです。何をもってリンゴと認識したか? の問いに対しては、この「果梗があったから」という理由が一番なのかも知れませんが、「林檎像」にはすべて果梗が描かれているので、条件は一緒になります。そして「果梗がある」ことでリンゴという枠からは外れずに、色や形、筆致やマチエールに至るまで自由な表現に着目することが出来る。

 

私のこの見方だと、「果梗」にリンゴのイメージが「収束」してしまうではないか、ということになりそうですが、西川さんが増幅させている「イメージ」の意味するところは「くだもの当てゲーム」ではないのです。

 

 

会場にあるファイルより

 

一刻一刻と違うものに変化し続けているリンゴの「ありのまま」とはどういうことか? 私が観た「林檎像」には、もぎたてのものから少し蜜が回って味がボケてしまったリンゴも同時に描かれていたかも知れず、日々変わる天候や湿度も表現されていたかも知れず、それは一瞬を切り取る写真では映しきれないものであると言えます。繰り返しになりますが、鑑賞者が果梗という部分ではなく、そのもの自体に注目するには、「くだもの当てゲーム」にならないリンゴがベストなモチーフだったと言うことも出来そうです。

 

 

 

「林檎像. 10」

最近の作品では、リンゴそれぞれが持つ形の違いが、輪郭線に顕著に表れるようになったそうです。

 

 

林檎像. 10」(部分拡大)

 

林檎像. 10」(部分拡大)

結構角ばって見えますね。


 

上から:「林檎像. 13」 「林檎像. 11」 「林檎像. 12」

丸かったり、菱形っぽかったり、四角っぽかったり。温度の違いや空気の流れなど時間の経過も一つの画面に入っているような気がします。

 


「林檎像. 14」

こちらの「林檎像. 14」は2017年に制作されたもの。こちらの輪郭線は途切れていて、左側に見えるリンゴの影が形をよく捉えているようです。光の当たり方という環境の違いや、その時の西川さんの感じ方、というのが表現の差に表れています。

 

 

左:「林檎像. 15」 右:「林檎像. 16

 

「林檎像. 15」

画面右下部分の影の表現は「林檎像. 10」に近い様に思います。リンゴ本体については、色の感じからか「林檎像. 10」よりフレッシュな感じを受けました。

 


「林檎像. 16」

こちらはちょっと熟れているような、、、。私は形、それも輪郭線から多くの情報を得ているようです。

 

 

 

リンゴの「イメージ」と聞くと、赤い、丸い、芯 (果梗) が出ているの3つくらいなのですが、こう考えてみると、丸だけではないし、赤にも種類があるし、青リンゴだってあるし、果梗については微妙な位置や長さなどで瞬時にそのくだものらしさを判断しているということが分かったりします。リンゴってこうだよね、ん、本当にそうですか? という疑問を持ったり、私は何を見て判断しがちか、という自分の癖などに自覚的になったりしました。

 

西川さんのさらに以前の作品群には人の顔を描いたシリーズがあります。それは、国籍・性別・年齢などの情報をなくして「イメージ」のみの抽出を試みたものでした。反して、人の顔に対して鑑賞者は細かく情報を読み取ろうとしてしまい、描かれている人物は西川さんの知り合いなのか? とか、海外の方を描いているのか? などに興味が向きがちだったそうです。

 

そのエピソードを聞いても、リンゴは絶妙なバランスで「イメージ」に注目されやすいモチーフだったと言えるかもしれません。私も「林檎像」を観て、品種がふじか紅玉か、が気になったりはしなかったわけです (気になる方も中にはいるかもしれませんが、、、)。 

 

 

 

本展の展示作品ではないですが、西川さんのビンの作品について、アプローチの違いについてお話を伺えたので、簡単に触れたいと思います。

 

ビンを描く前に缶を描いた時、缶の素材である金属が周りの風景を映し込むことに意識的になったそうです。缶がそこに「ある」ということを表現するには周囲の景色を缶に描き込むという作業が必要である。これについては面白いな、と思いました。周囲との相対的な関係を示すことではじめて「ある」が証明できる、って人間が社会生活を送る為に必須なこと、と当てはめて考えることも出来そうです。まぁそれは私の皮肉的な見方だとして、西川さんはその「ある」ということをより進めて考えた時に、ビンというモチーフに辿りつきました。ビンも周囲を反射しつつ、その奥にある景色も透かして見ることが出来、さらに空のビンは内部に外を内包しているとも言える。ビンそのものの存在 = ガラス部分が「ある」ことを表現するには、手前の風景の反射だったり、透けて見える向かいの風景だったり、中の透明感だったり、を描くことで可能になる。ビンの作品はビンそのものではなく周囲を描いている。ビンを描く、というのは光の作用を描いているとも言えます。光もまた刻々と変化していて同じ光の当たり方は2度と訪れない、不可逆的な要素です。ビンの作品は光を描くことで、その時だけに現れた空間、時間を描いている。

 

 

会場にあるファイルより

「林檎像」は描かれているリンゴそのもののイメージの増幅を意図しているのに対して、ビンの作品はビンを描いているけれどもそのビンではなく周囲の空間に主題があるという、ベクトルが全く違うシリーズであるということが分かりました。

(画像にめっちゃ自分のスマホの影が写ってしまった、、、。これも光の作用ですねー)


 

 

 

「イメージ」という、人の脳内でのみ持ち得るものだったり、瞬間に立ち現れる「空間」「時間」だったり、と、西川さんはリンゴやビンという物体を通して、より概念的なものを表現しています。作品は概念を表現する為の手段で、そのことは全ての作品に当てはめることが出来ますが、よりシンプルに、自分が「ものを見る」という時に何が起こっているのか、を考えることが出来る作品群でした。「林檎像」では自分がどの作品に最もリンゴらしさを感じたか、を振り返ることで、色派か形派か、形派の中でも塊なのか輪郭なのか、など自分のタイプに自覚的になるのが面白かったです。『HUNTER×HUNTER』の水見式みたいですね。

 

普段「見ている」と思っているものに、改めて「じっ」と向き合ってみると興味深い発見がありました。ぜひ、足を運んでみてください。

 

 

 

展示風景画像:西川由里子 個展「じっ、と見つめて」


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