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感想 “Vectored Goth”

 

グループ展 “Vectored Goth”

 

会 期:2022年10月29日(土) - 2022年11月27日(日)

時 間:13時-20時

休 廊:火水木

場 所:Ritsuki Fujisaki Gallery

出展作家:小谷くるみ、山本和真、山本捷平、Taka Kono

展覧会URL:

https://ritsukifujisakigallery.com/blog/2022/10/16/vectored-goth-from-20221029-to-20221127/

 


 

Ritsuki Fujisaki Galleryさんで小谷くるみさん、山本和真さん、山本捷平さん、Taka Konoさんによるグループ展 “Vectored Goth” を鑑賞してきました。

 

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本展では、転写技術を用いた作品群がそれぞれの作家から提示されますが、イメージに対しての、より真摯な態度を求めています。

 

現代アートと呼ばれているジャンルでは、鑑賞者は視覚的イメージ等を通して、作家、作品または展示の解釈を要請されることが通例となっています。

しかしながら、本展ではその慣習的な蜜月関係を断ち切り、解釈という方法に対して反抗することにより、改めて視覚的イメージ、作家または作品への対峙を行うことを意図しています。

 

 (Ritsuki Fujisaki Gallery “Vectored Goth” from 20221029 to 20221127 より抜粋)

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「解釈という方法に対して反抗」、、、。

 

解釈とは受け手の側からの理解のことです。感想という個人的な解釈を掲載するのが当サイトなので、なかなか手強そうな印象を受けました。しかし、これで尻込みしては鑑賞者として自分が納得出来ない!

 

ということで、今回も感想を述べたいと思います。

 

 

 

 

 

小谷くるみさんは1994年生まれ、京都造形芸術大学油画コース卒業、京都造形芸術大学大学院芸術専攻ペインティング領域修了。存在の痕跡、気配をテーマに絵画作品を発表、オカルト・ホラーへの興味を反映した絵画シリーズ「21g」では、画面が窓に見立てられ、結露した窓に誰かが指で落書きしたような痕跡が表現されています。

 

「Door」

開かれたドアが描かれています。素材を確認すると、銀やいぶし銀を用いて描かれているようです。銀箔を用いているのかも知れません。手仕事の痕跡や時間の経過を感じさせます。かすれ具合などで曖昧になっていますが、ドアの向こうに人がいるようにも見えます。

そして、地の部分には模様が確認出来ます。

 

「Door」(部分拡大)

地の部分にはウィリアム・モリス (1834 - 1896) の壁紙のような布が使用されていました。モリスはアーツ・アンド・クラフツ運動を主導し、専業革命時の粗悪な大量生産品を批判、手仕事の良さや生活と芸術を統一させることを説きました。植物模様の壁紙が有名です。

でも、室内なのに植物が密集している図案って、外なのか内なのか分からなくなる不思議な空間ですね。本作品ではドアが外に向けて開かれているのか、室内に向けて開かれているのかやや不明です。永久に閉じ込められた空間だったりして。貼られたクロスの植物の向きも逆さまのような、、、?


 

 

 

「庭のある家」

結露が生じた窓に何やら指のようなもので拭かれた跡が。右下に人影のようなものも見えます。

 

「庭のある家」(部分拡大)

画面中央よりやや上にかけて確認出来る「白いモヤモヤ」は何でしょう? そのモヤに縁取られているのが家のようです。

 

「庭のある家」(部分拡大)

向いの「庭のある家」から誰かが向かってくる様子を見ているのか、去っていくのをずっと観察しているのか。人物のほうが、こちらをじっと観察しているのか。2人いる? あれ、首がない?


 

 

 

 

 

山本和真さんは1998年生まれ、東京藝術大学在学中。インターネット上で広がっていく「ミーム」やホラー映画の「不気味さ」「薄気味悪さ」「居⼼地の悪さ」に興味を持ち、一見ポップに感じられる明るい画面に嗜虐性といった狂気が潜む作品を発表しています。

 

「Let’s eat soap」

洗剤の宣伝のような画面ですが、、、

 

「Let’s eat soap」(部分拡大)

Ritsuki Fujisaki Gallery さんのHPには「洗剤の誤飲」というワードがあり、この作品のことと思っていますが、こちらの仲睦まじいカップルの姿は「誤飲」じゃなくて「食べさせてる」シーンになっています。一気に殺人の雰囲気が!

高濃度の洗剤を水溶性フィルムに包んだジェルボールと呼ばれる洗剤は、キャンディのように美味しそうに見えるため、幼児や高齢者の誤飲事故がけっこうな頻度で発生するそうです。アメリカでは死亡事例もあります。その中には、ひょっとしたらわざと誤飲を誘発するように置いていた事例もあったりするのかな、、、? とか考えちゃいますね。

 

「Let’s eat soap」(部分拡大)

画面右上にはパイの中のジェルボール。こんな感じになっていたら、食べてしまう。


 

「Let’s eat soap」(部分拡大)

紙にインクジェットプリントをしているので、単にカラー違いかと思いきや、この右上の部分はそれぞれ違っていました。同じ「洗剤の誤飲」とされた事故でも、実際は状況が各々違う、ということが示されているのかも知れません。

 

「Let’s eat soap」(部分拡大)

商品の形状だけ見ても、結構違いますね。


 

 

外のショーケースには大きめのプリントが展示されていました。

 

「Let’s eat soap」

これも右上部分が全て違います。食べ物に擬態しているのは3件?

 

「Let’s eat soap」(部分拡大)

 

「Let’s eat soap」(部分拡大)


 

「Let’s eat soap」(部分拡大)

(ウィンドウの境目がかぶってしまった)

 

「Let’s eat soap」(部分拡大)


 

「Let’s eat soap」(部分拡大)

これはひょっとしたら、食紅を使って洗剤ぽくデコレーションした安全なお菓子なのかも。ブラックジョークなお菓子ですね。


 

 

 

 

 

山本捷平さんは1994年生まれ、京都造形芸術大学大学院芸術先攻ペインティング領域修了。自作のローラーを用いてモチーフを反復させる作品で知られています。デジタル技術の発展により複製が容易に行われる現代において、予めPC上でシミュレートしてからローラーでの描画を行うことで、シミュレートしたイメージに偶然性を取り入れています。→参考記事:感想  山本捷平 個展 「Calcite on Myth: Myth」

 

写真のような一場面にタイヤの跡のようなものがローラーで描かれています。

 

「Reiterate on unsplash 1」

タイトル内の「unsplash」ですが、フリーの写真素材サイトのことかな、と予想します。フリー素材ですが、何らかのイメージが想起される (ことを狙った) 画像がたくさんあります。

 

「Reiterate on unsplash 1」(部分拡大)

夜のネオン街と行き交う人々が見えます。何となくタイヤ痕に見える反復が加わると、交通事故現場、とか、夜の楽しいひとときに起きた悲劇、みたいな印象に変わって見えます。


 

「Reiterate on unsplash 4」

先ほどの「Reiterate on unsplash 1」と同じ場所に見えますが、自転車置き場になっているようです。

 

「Reiterate on unsplash 4」(部分拡大)

絵の具が垂れているようなイメージが重ねられることで、勝手に血痕ぽい印象を持ってしまう。

この場所では特に何も起こっていなくて、ランダムに選ばれた写真かも知れないのに。


 

「Reiterate on unsplash 3」

こちらもヴィンテージ水着のファッションフォトという一般的なイメージ画像だったはずですが、、、

 

「Reiterate on unsplash 3」(部分拡大)

何か起きたのか? とザワザワしてしまう。


 

「Reiterate on unsplash 2」

ロマンチックなシーンのはずが、、、

 

「Reiterate on unsplash 2」(部分拡大)

不穏。


 

 

 

 

 

Taka Konoさんは1994年生まれ、ニューヨーク州パーソンズ美術大学Fine Arts領域 美術学士取得。本展会場のRitsuki Fujisaki Gallery さんでは、2022年7月 - 8月に個展 “down4u” を開催し、ホラーの文脈が元々持ち合わせていたものとして「親密さ」を残滓のように見せるものでした。この “down4u” については solo show というとてもかっこいい海外サイトがレビューを寄せており、Ritsuki Fujisaki さんによる和訳がHPで公開されています。→ Ritsuki Fujisaki Gallery “down4u” by Taka Kono from 20220716 to 20220814

 

 

「void imagination」

タイトルは「空っぽの想像力」ということですが、第一印象では黒魔術的なものを想起しました。ううむ、私の想像力は短絡的かも? 燃えているベッドの背景には繰り返し現れているランプやベッドの縁も見え、現実味のない場面になっています。

リチャード・プリンスの作品、Burning Bed (2011)は、ベッドでボヤを起こした酔っ払いと消防士のやりとりが文字でグリーティングカードに書かれている、という作品です。その逸話が酔っぱらいの「想像力のなさ」を示している、と言えばそうかも?

「燃える」と「ベッド」の組み合わせが、濃ゆい「愛」のようなイメージも想起させます。

 

「void imagination」

ベッドの上の蝋燭? この状態だったらベッドに火が点いて燃えてしまうのも想像出来ます。それでもやっぱり魔術的なものを感じるのは、色の効果なんでしょうか。サーモグラフィーを思わせる色合い。ただ、サーモグラフィーだった場合、熱を持った部分は明るくなるはずですが、画面の大部分を占めるのは黒に近い色です。冷え切ったベッドルーム。先に紹介した「void imagination」の炎の部分も真っ暗。「愛」と思いましたが、「嫉妬」のようなねっとりとした感情かも知れない。

いずれにしても、そこに人は存在しないのに、より強い思念が「いる」ように、勝手に思ってしまいます。


 

 

 

 

 

4人の作家の提示するイメージには共通して「恐怖」や「ホラー」、「不気味さ」というキーワードがありますが、その表面的なイメージに留まらずじっくり作品と対峙すると、それらのキーワードは妙な「生温かさ」に変化し、体温や手垢といった感覚を通して、「生身の人間」という存在が浮かんでくるようです。小谷さんの作品からは手仕事であったり、結露を拭く指やどうやら存在しているらしい者の体温が感じられ、山本和真さんの作品にはパッケージや美味しそうなジェルボールの色合いに嗜虐性を隠蔽する意図があり、山本捷平さんの作品は写真の場面に加えられた部分が特定の感情を呼び起こすように思えるし、Konoさんの作品からは魔術的なものを感じ取ってしまったり思念が残っているように感じてしまったり、というように。「イメージ」という言葉の向こうには必ずイメージを受け取ってもらう人が想定されていて、多くの人に受け取ってもらえるよう一般化された受信者に向けられたイメージは転写を経ることでさらに表面的になり形骸化します。本来なら、そのイメージは実際の生身の人間である鑑賞者にフィットし切れずはみ出るはずですが、どうやら受信者側も発信されたイメージに「合わせる」ことに慣れていて、よく見ていないことも多い。ひょっとしたらこれらの作品群は「生身の人間」を匂わすことでイメージの欺瞞を暴くことが裏テーマなのではないでしょうか? 小谷さんの作品の向こう側に人なんていなくて、山本和真さんの作品には「誤飲」を装った殺人とさらに裏をかいた安全なお菓子が登場し、山本捷平さんの作品は単なるローラーの模様と写真の組み合わせで不穏なものは何もなく、Konoさんの作品はベッド近くに置かれた火元の不注意による火事の現場で魔術的な意味合いはない。

 

 

 

以上、結局は個人的な解釈に頼りながら鑑賞しましたが、冒頭にも引用したように本展は「解釈という方法に対して反抗することにより、改めて視覚的イメージ、作家または作品への対峙を行うことを意図しています。」とあり、この感想は的外れな可能性が高いです。

 

 

 

なかなか手強い展示と思いますが、我こそは、と思う方もそうでない方も、ぜひ、足を運んでみてください。何か分かったらコメントで教えていただけますと幸いです。

 

 

 

 

展示風景画像:“Vectored Goth”


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