· 

感想 善養寺歩由 みょうじなまえ 2人展 「Consuming Commodity」

 

善養寺歩由 みょうじなまえ 2人展

「Consuming Commodity」

キュレーター:一ノ瀬健太

 

会 期:2021年12月20日(月) - 12月26日(日)

時 間:12:00-19:00(最終日17時終了)

場 所:銀座中央ギャラリー

展覧会URL:

https://chuogallery.com/events/2021/20211220consumingcommodity/index.html

 


 

SNSで拝見して、コンセプチュアルかつ目に留まるビジュアルに興味を持ち、伺ってきました。

 

善養寺歩由さんは東京藝術大学美術学部デザイン科在籍中、みょうじなまえさんは東京藝術大学美術学部油画科卒業、キュレーションを務めた一ノ瀬健太さんは東京藝術大学博士課程在籍中。就職活動や貨幣経済などのテーマを介して、消費すること自体や消費されるものの価値を問いかける展示です。

 

 

まず、善養寺歩由さんの作品から。

左より「¥210,000」「¥120,000」「¥65,000」「¥30,000」「¥15,000」「¥5,000」(※タイトルです)

 

作家自身の履歴書がシルクスクリーン印刷と油絵具で描かれた、大きさの違うキャンバス作品がずらりと並んでいます。

 

履歴書の枠はシルクスクリーンで文字は油彩。油彩は、ある程度歴史があるので耐久面で信頼があり、油性ペンやアクリル絵具などではなく油絵具という画法のチョイスにも、絵画の価値に対する問いのテーマが表れています。

 

いろいろとツッコミたくなる細部。ユーモアと、ステートメントと思われる真っ当な志望動機。


 

大きい作品から、

 

小さい作品まで。


 

まだマーケットで価値が判断できない作家の場合、 作品の値段はキャンバスの大きさに比例して決められることが多いです。それは作品の出来不出来に関係なく、です。出来不出来と簡単に書きましたが、何をもって良い出来の作品とするのか、使用された絵具などの材料費や制作にかかった時間というわけでもない。そうした明確な尺度がない値段よりは、キャンバスの大きさに比例するという方が、買い手に客観的に理解されやすいということもあるのでしょう。

 

しかし、このような形でシステムを表現されると、釈然としない気持ちになるのも事実です。キャンバスの大きさに合わせて履歴書を拡大せず、まったく同じ大きさで展開されている意味も、材料費や制作時間では判断されない作品の価値というところに焦点が当たっていると思います。

 

 

左:「証明写真(レギュラーモード/黄金比モード)」

右:「証明写真(レギュラーモード/黄金比モード)」


 

こちらの作品はモーター式で、顔の比率が極端にキャラクター化された善養寺さんの作品とリアルな黄金比の顔を描画した作品とが交互に表れる仕掛けになっています(運悪くモーターの故障でレギュラーモードの画像が撮れませんでしたが、SNS等で検索していただければ出てきます)。証明写真の印象により書類審査の結果が大きく左右されることがありますが、その証明写真にも美白モードがあったり加工可能なことに対する皮肉でしょうか。左右対称過ぎる顔が不気味なのと、メタバースなどバーチャル世界で生活する(かもしれない)未来において、黄金比の定義が変わってしまうかもしれない、というようなことも考えてしまいました。

 

 

次はみょうじなまえさんの作品。

 

「Jerusalem artichoke」

 

「Red Poppie」


 

「Iris」

 

「Tulip」


 

「Lily of the valley」


 

貨幣経済の上に成り立っているアート作品を表現。それぞれ使用できる国や価値が違うお札に描かれていますが作品の価格は均一。

 

「NOODLE PARTY」

みょうじなまえさんと半田颯哉さんによる共同制作作品。

うやうやしい箱に入った「キャンベルヌードル」には、正しく食べる為のマナー講座の参加資格が付帯。

いまだ根強い西洋美術への劣等感などを皮肉った作品です


 

作品説明にある「歪なマナー」という言葉、確かに日本の美大受験には必須の石膏デッサンは、ポートフォリオ重視の欧米の美大では前時代的で通用しないと聞きます。美術館でのデッサン禁止はどこ由来なんだ? というのもありますし。

 

マナー講座のインビテーションチケットはお箸。ed.10


 

「No.5」


みょうじさんのツイートには、「フェロモンの香りで野生動物が寄ってくるから動物カメラマンはカメラ周辺にシャネルNo.5を撒く」という都市伝説が。それが本当なら、動物までも惹きつけるフェロモンも人工的に操作できてしまうのでしょうか。

 

「白いカナリア」


真っ白な額と一体化した作品。絵画として価値を持たせるためには「BEAUTIFUL」かつ「WOMAN」である必要性があるのか。また、カナリアと言えば黄色を連想しますが、白色も存在します。白人至上主義も暗喩していそう。

 

 

 

「WHAT I WANT (ORANGE)

「WHAT I WANT (PINK)

「WHAT I WANT (YELLOW)


カラフルな紙幣。最近のハイブランドの色合いってこういう蛍光色が多いですよね。消費の手段としての貨幣そのものに価値を見出してしまうことを表しているのでしょうか。キャプションの素材表記で最初に書かれているのは「息」。一番多い素材から表記するという規則に従っているだけかもしれませんが、消費社会の鼻息、息巻いている様子が感じられます。

 

 

すぐには答えのでないテーマが扱われていますが、親しみやすいビジュアルで観る人の更なる思考を促す展示だと思います。銀ぶらのコースにぜひ組み込んでみてはいかがでしょうか。


関連記事