新正春 個展「絵画と金」
会 期:2023年11月17日(金) - 2023年12月6日(水)
時 間:11:00-19:00 (最終日18時終了)
休 廊:月 (※祝日を含む)
場 所:FOAM CONTEMPORARY
主 催:銀座 蔦屋書店
展覧会URL:
https://store.tsite.jp/ginza/event/art/36302-1610071004.html
私は知人に「アート作品買うと楽しいよ🎶」的なことを伝えてまわっているのですが、SNSの投稿で「卒業以来一切連絡取ってないような友達から急に連絡来て面倒なことになった」例として「今そこで個展やってるんだけど〜」というのがリプライについて揶揄されてるのを見たりして、知人たちに私のことをちょっと勘違いされているのではないかと不安になっているこの頃です。いや、斡旋とか出来る力もないのだけどな、、、😅
何が言いたいかというと、「GDP規模、富裕層人数の比率から推測すると、「日本のアート市場」は、成長の余地があると考えられる。」(アート市場の活性化に向けて, 文化庁, 2018, P5) と文化庁も把握しているにもかかわらず、未だ日本における一般的な印象としては「アートの売買って詐欺まがいな商売をしていそう」というのが残っている気がします。アートの業界そのものが健全なビジネスとして成り立つし、他国では立派な産業になっている、というのが伝わってなかったりするんですよね。その一方で、一部には価格の上昇を狙って学生の作品を青田買いするような動きもある、ときいたことがあるので、日本の現状ではアート作品とお金の関係は問題が山積みのようです。
そんな中、「絵画と金」というタイトルの展覧会を観てきました。新正春さんの展示は過去に2回ほど、PAGIC GALLERY さんでの展覧会感想を書いていますが、それらの作品群とはまたちがった印象の金銀を基調とした作品があることは知っていました。→参考記事:感想 新正春 個展「肌が触れ合う際に発生する斥力について」
今回は、その金銀を基調としたメタリックな印象の作品をまとめてじっくり鑑賞出来ました。ステートメントも合わせてとても面白く、改めて「絵画と金」、作品の価値とは? ということを考えてみました。
左:「Sampling Ecosystem」 右:「GOOSE」
左:「Sampling Ecosystem」 中央:「Sampling Ecosystem」 右:「Sampling Ecosystem」
左:「Sampling Ecosystem」 右:「GEESE」
金! という印象ですが何かが浮かび上がっているので、何のモチーフが表れているのかとりあえず興味津々で近づいてみました。
「Sampling Ecosystem」
模様っぽい。
「Sampling Ecosystem」(部分拡大)
本、、、て文字が見える。 お札っぽい。「絵画と金」というタイトルですし。あ、金の読みは「きん」なのか「かね」なのか、、、?
「Sampling Ecosystem」
横向きに並んだものだと、よりお札感あります。
「Sampling Ecosystem」
大量のお札が浮かび上がっている、、、。
「Sampling Ecosystem」
「Sampling Ecosystem」(部分拡大)
「Sampling Ecosystem」(部分拡大)
「本物」って書いてある。
DM
会場にも置いてあったDMに印刷されているこのお札のようなものが、作品に繰り返し表されているみたいです。
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本展⽰では、美術と経済という切り離すことのできない問題を主題にすべく、「絵画と⾦」と題して、「Sampling Ecosystem」シリーズを中⼼とした展⽰を⾏います。
「Sampling Ecosystem」シリーズとは、現代美術の作品をサンプリングすることで、どのような変容を遂げるのかを探る実験的な試みです。今回は⾚瀬川原平の「零円札」の “ニセモノ” の写真の⼀部をシルクスクリーンで転写し、ゴールドのスプレーで制作した作品をメインに据えることとしました。
( 銀座 蔦屋書店【XMAS 2023】新正春個展「絵画と金」 [アーティストステートメント] より抜粋)
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この「お札のようなもの」と思ったのは⾚瀬川原平の「零円札」由来のモチーフだったんですね。
⾚瀬川原平のお札と言えば、「模型千円札」に端を発し「千円札裁判」に発展した一連の事件があります。赤瀬川は千円札の片側だけを印刷したものを用いて作品として発表したり個展案内や梱包に用いたりパフォーマンスに使用したりしていました。「千円札のニセモノ」ではなく、「千円札の模型」「オブジェとしての紙幣」として製造した赤瀬川でしたが、当時の偽札事件の背景もあって有罪となってしまいます。
「千円札裁判」についての詳細は以下のページなどもぜひご参照。
( https://bijutsutecho.com/artwiki/126 )
その裁判の間に制作されたとされるのが「零円札」です。本物のように見えるニセモノの千円札ではなく、本物の「零円札」をつくった、ということです。
本展ではその「零円札」の「ニセモノ」が作品になっている、ということなのでしょうか?
「Sampling Ecosystem」
「零円札」の「ニセモノ」なんて聞くとなんだか価値の無いものがさらに価値が無くなった気がするハズなんですが、ここまで無価値を全面に押し出されるとかえって価値があるものに感じられる不思議、、、。
では、お札っぽく無いもの、「GOOSE」や「GEESE」と題された作品はなんだろう、、、?
「GOOSE」
GOOSE・・・ガチョウ、雁 (単数)
「GEESE」
GEESE・・・ガチョウ、雁 (複数)
答えは隣の展示スペースにありました。
商談とか出来そうな空間ですが、、、?
作品批評書、、、? ギンギラギンにわざとらしく、、、笑。
会場のFOAM CONTEMPORARYさんはGINZA SIXの 6階 にありますが、客層は、この「ギンギラギンに」の元ネタの歌を知らない世代も多そう? どうだろ? 笑
この作品批評書がとても面白かったので、ぜひ新さんのIGで全文読んでいただきたいです。「究極的なニセモノの鏡がもたらす「ブースト機構」」として、折り紙セットの中にある1枚だけの金銀、、、折り紙が虚構として安心して折られるためにある、折られない金銀、、、。新さんのカラフルな作品群と本展の金銀の作品群とを結びつけるような視点もありました。北村公人さんによるテキストとのこと。
そして、この中にGOOSE のことが書いてありました。
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新が扱うもう一つのモチーフ:雁 (ガチョウ) も、「贋作 (がんさく)」や「がんもどき」という言葉があるように、古くからニセモノの権化として扱われてきた。
それがニセモノであると、容易に判断できるという意味でわざとらしく、濁った鏡面にギンギラギンに描かれる、赤瀬川原平の「零円札」の "ニセモノ" 。あるいは、ニセモノの権化としての雁 (ガチョウ) 。「ニセモノに見え、やはりニセモノ」であろうもの。
(北村公人 作品批評書 ギンギラギンにわざとらしく ——新正春「絵画と金」展に寄せて より抜粋)
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そう言えば、「贋作」ってなんで「雁に貝」って書くんだろう?
・雁がかっこよくかどめをたてて編隊飛行する様子 = 形を整えたもの
・貝 = お金
ということから
形よく整えた財宝、そこから転じて、外形だけを形よく似せたニセモノ、金の力で形だけを真似た物、という意味になったらしいです (Yahoo 知恵袋による) 。
そして「がんもどき」も諸説あるそうで、味が雁の肉に似ている? 似せて作った? ので「雁擬(がんもどき)」と呼んだという説があります。
あれ?「贋作」も「がんもどき」も雁は悪くない? むしろ、雁自体は「本物」の「かっこよく飛ぶおいしい鳥」なんですね、、、。
そして、作品批評書がある奥のスペースには 「Sampling Ecosystem」でもGOOSEでもない作品群があります。
左:「KOHAMAISLAND」 中央:「KOHAMAISLAND」 右:「KOHAMAISLAND」
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“ KOHAMAISLAND ”
”数年前に小浜島で撮った写真をシルクスクリーンで転写し、スプレーを使って制作している。黄金色となった小浜島の風景は美化された思い出を呼び起こす。ホテルで淹れてもらったアイスコーヒーが懐かしい。中国で栽培された豆を浅煎りして淹れたそれは、やはり中国っぽい香りがして不思議な体験だった。”
(新正春 IG https://www.instagram.com/p/CkXYfl3ywcV/?hl=ja より)
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上記の、新さんの思い出についての IGの文を読んでも、なんだかとても良い空気感が感じられて、その思い出自体はニセモノどころか本物なわけですが、それらが黄金に染められて輝いているところに「美化された思い出」という意味が乗っかっている。
そういえば、2021年の記事「感想 新正春 個展 「肌が触れ合う際に発生する斥力について」」に書きましたが、新さんは、Hotel Anteroom Nahaで作品展示があった際に沖縄で撮影した写真を作品に使用していました。
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使用されている写真は、新さんの作品がHotel Anteroom Nahaに展示された際に沖縄で撮影したものだそうで、シャッターを切る時の基準となる感情の閾値をさげ、少しでも何かひっかかるものがあれば撮影したというもの。具体的に何かが写っているというわけではなく説明的ではありません。鑑賞者が感じ取るような仕掛けになっています。
(感想 新正春 個展 「肌が触れ合う際に発生する斥力について」)
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思い出を共有していないにもかかわらず、鑑賞者は勝手に「エモさ」を感じ取る。それは「エモさ」のニセモノとも言えるわけですが。
「KOHAMAISLAND」
「KOHAMAISLAND」
「KOHAMAISLAND」
左:「KOHAMAISLAND」 右:「PAPAYA」
今一度、「Sampling Ecosystem」に戻って、本展の主題を考えてみることにしました。
「Sampling Ecosystem」
「Sampling Ecosystem」
絵画作品然として額装されているニセ「零円札」。
新さんのIG投稿より。
https://www.instagram.com/p/Czw9Rl-SymK/?hl=ja
あー!このニセ「零円札」は販売されていたんですが、この画像を見ると「こういうことか」ってより視覚的にわかりますね。一万円札と同価値のニセ「零円札」。
「ニセモノのニセモノ」という書き方をすると、言葉遊びのようですが、マイナス × マイナス = プラス でまるで「本物」になってしまうような気さえします。いや、そうではなくて、徹底的にニセモノを極め価値を無くしたところに「芸術」がある? という主張なのかもしれない。赤瀬川の「超芸術トマソン」のような「無用の長物」につながる、赤瀬川の正統なサンプリングが「Sampling Ecosystem」なのか? いや「正統」ってなんだ?
冒頭の、知人に「アート作品買うと楽しいよ🎶」的なことを伝えてまわっている話に戻りますが、その話題では、芸術作品の価値は個人個人で感じるものだ、という意見が出てきます。ギャラリストや市場に操作されているように見える「作品の価値」に懐疑的である人も一定数いる、という現状が浮かび上がってきます。
では個人個人が感じる価値ってなんだ? と突き詰めて考えると、本展の「KOHAMAISLAND」を見て私が感じたように、他人の思い出にニセモノの共感を得るような、もうそれを言いだしたらどこまでいっても自己満足的な価値しかない、というものになります。嫌味に聞こえるかもしれません、でも、それが真実かもしれないとも思うわけです。芸術の値段ってのは、もう買う側の自己満足的価値の値段なんですよ (批判しているのではありません。事実がそうじゃないか、と考えを進めるために言っております。そして、このことを考えるのはとても重要だと思うので続けます。万が一これを読んだ知人が気を悪くしたら、ごめんなさい ) 。
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感情󠄁移入が積極的である場合、卽ち自己活動という私の自然的傾向が、感性的對象から私に課せられた活動と一致する場合、統覺的活動は美的享受となるのである。そして藝術作品にとってもまた、この積極的感情󠄁移入のみが問題とせられうるのである。ここに、感情󠄁移入說が藝術作品に對して實際的に應用せられる限り、感情󠄁移入說の基礎が存する。このような基礎からして美なるものと醜なるものとの定義が生れる。
(ヴォリンゲル 著 草薙正夫 訳『抽象と感情移入 ——東洋芸術と西洋芸術——』岩波書店 1953, p21)
※一部、文字コードの制約により新字体に変更
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共感、感情移入といった評価軸は、一見して普遍的なもののように見えて、実は普遍とは似て非なるものであると思います。多くの人が共感出来るものって普遍性がある、みたいに思ってしまいそうですが、その共感とやらはかなり個人的な判断によって劣化コピーされたニセモノである可能性が高く、劣化コピーの繰り返しによって全然違うものを各個人が思い抱いていたりする。感情移入も個人的な解釈に依っている。例えば、外見の美醜についても、世界規模で考えるまでもなく、個人の好みで全く異なる評価が下されます。下されるんです。外見に悩む青少年は安心しなさい。
じゃあ、ギャラリーでの販売価格や市場の価格は妥当な客観性を備えているから価値を測る目安である!かというと、突き詰めればやっぱりそれでも買う側の自己満足的価値というのから逃れられない気がします。当たり前ですが、その値段で買う人がいないとダメなわけで、その理由が「「ニセモノのニセモノ」は「本物」だから」でも「ニセモノを極めて無価値にしたところに「芸術」があるから」でも「赤瀬川の正統なサンプリングだから」でもどれでも良いのです。北村さんの作品批評書から単語を借りれば、「濁った鏡」に写った自分自身の曖昧な投影、それが「虚構」であることもわかった上で、投入する思いに価値が宿る。芸術の価値って、商取引された瞬間に生れる、ということになるんじゃないか。
ニセ「零円札」が一万円で買われたから、ニセ「零円札」は一万円の価値です。何を当たり前のことをさっきから言ってるのか、、、? いえ、私は大真面目です。言い換えると、買われなければ価値が生まれない。あぁ、すごく酷いことを言っているような気もする、、、。「売れなければ価値がない」とは言ってない。売れなくても作品は作り続けてほしい。なんて卑怯な。やりがい搾取みたいじゃないか。もう、みんな、共感した、感情移入した、うむむと唸った、価値観をひっくりかえされた、感動した作品があるのなら、価値をつけてくれ、買ってくれ、、、。そう言う私は、、、そんなに作品を買ってない、買えてない、うわぁーごめんなさいー。
会場の FOAM CONTEMPORARY は銀座にあります。
銀座、、、高級感ある街、インバウンドに強い街、日本一価格が高い土地を有する街、もう何がそんなに高いのかわからなくなる街。そんな街のおしゃれな商業ビル GINZA SIX の一角で展示される展覧会では、作品がマネーゲームのアイテムとされてしまったかのように捉えられるように感じます。
作品に心を動かされた思いをお金で表現するのは応援したいですが、マネーゲームのアイテムにされたのではその価値も泡となって消えてしまいます。それは私も反対です。でも、作品は買われてこそ価値が生まれる、ということは訴えていきたい。お金を払ってみなければ真に味わえない感覚ってものもあると思います。絵画と金、その二つを結びつけることを潔癖なまでに嫌うのは間違っている、と私は思います。
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「多くの人が値段を知っていても 価値を知らないんだ」
(映画『アートのお値段』予告編 コレクター ステファン・エドリスの言葉 より)
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、、、でも本展の展覧会タイトル、「かね」と読むのか「きん」と読むのか?
印象もかなり変わってくる気がします。お金はただの紙切れになってしまうかもしれないけれど、Gold なら価値が担保される?
雁はかっこよく飛ぶおいしい鳥だったわけだけれども、私は絵画を「かね」と結びつけるのか「きん」と結びつけるのか?
今も答えが見つけられないままです。
おすすめの展覧会です、ぜひ足を運んでみてください。
展示風景画像:新正春 個展「絵画と金」FOAM CONTEMPORARY, 2023
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