· 

感想 長島伊織 個展 「Another Film」

 

長島伊織 個展 「Another Film」

 

会 期:2023年1月28日(土) - 2023年2月14日(火)

時 間:11時-19時

休 廊:月

場 所:FOAM CONTEMPORARY

主 催:銀座 蔦屋書店

協 ⼒:mona art office

展覧会URL:

https://store.tsite.jp/ginza/event/art/31151-1612550113.html

 


 

長島伊織さんは1997年生まれ、武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻卒業。卒業後より多くの個展やグループ展で作品を発表されています。SNSで初めて作品を拝見し、切り取られた何気ない風景、ということに留まらない何か惹かれるものがあって、ずっと印象に残っていました。今回「Another Film」を鑑賞し、その理由を探ってきました。

 

 

本展「Another Film」は銀座と京都岡崎の2箇所同時開催とのことで、展示される作品は違ってもテーマは同じモチーフが扱かわれ、同じ展覧会として捉えられています。この感想記事では銀座の展示についてレポートします。

 

 

 

入場してすぐ、山本浩貴さんによるテキストがありました。山本浩貴さんは美術批評家、という私の認識なのですが、このテキストでは「文化研究者」という肩書きになっていました。

 

 

長島さんの絵に惹かれる理由を探るためには重要なヒントが書かれていると思い、ここに画像掲載させていただきます。

※もし、文章の掲載について等、何か問題あればご連絡ください💦

 

だいぶ脱線しますが、山本浩貴さんはパープルームの登場回【パープルームTV】第39回「山本浩貴と渋家とパープルームの邂逅 1」【パープルームTV】第40回「山本浩貴と渋家とパープルームの邂逅 2」が、個人的にとても面白かったので激オススメです。著作『ポスト人新世の芸術』も話題になりました (購入済みですが読了まだ💦読了後に感想をUPします) 。他、美術手帖 web にて「10ヶ月で学ぶ現代アート」も連載中です (2023年2月現在) 。

 

上掲の画像のテキストにもあるように、長島さんの作品は「物語」というキーワードと共に語られます。→参考:ENTROPY [三浦梨沙との二人展](THE LOOP GALLERY・東京) THE LOOP GALLERY IG

 

他、「現代の古典絵画」と「抽象性」というワードがとても気になりました。具象画なのに抽象画。

 

 

 

「Portait」

 

この作品を一番初めに鑑賞して、一つ、別のワードが浮かびました。「物語」でもなく「現代の古典絵画」や「抽象性」のいずれでもないもの。確かに「物語」も感じるし、ポージングから肖像画の要素を感じて「現代の古典絵画」という印象も受けます。「抽象性」もある。

 

「Portait」(部分拡大)

目線はこちらに向いている。けど、何というか、絵画の中に巻き込まれる感、は感じられません。何かを訴えかけてくるような視線というよりは、タイトルのごとく「ポートレイト」として画家がパトロンを描いた時代のような空気感がある。

 

「Portait」(部分拡大)

現実にはありえないような絵の具の垂れが見られます。前掲の山本さんのテキストにあった「抽象性」は、「物語」が確定されない自由度を持っている、という意味で理解していますが、実際に絵の具が垂れているという「具象ではない」部分からも「ある種の抽象性を備えているような絵画を創造することをめざしている」長島さんの意図が読み取れる気がします。


 

私がこの 1つ目の作品を観て感じたワードは何か、、、答えは後回しにします。このワードは他の作品を鑑賞するにつれてより強く感じるようになるのですが、それは一体何でしょーか? 思いつきによる突然のクイズ形式😅 いや、同じ感想持つ人がいたら嬉しいなー、と、それだけの話なんですが。

 

そのワードを探り当てるという裏テーマもありつつ、以下からの作品画像をどうぞ。

 

 

 

「The man who reads books」

 

「The man who reads books」(部分拡大)

目線はこちらに向いてはいません。置いてある本が手前に向かうにつれて落ちてくるような曲線遠近法ぽさを感じます。

 

「The man who reads books」(別角度より撮影)

側面に絵の具が垂れた跡あり。この「垂れ」は先ほどの作品「Portait」と違って、画面に描かれたものとは関係がなさそうですが、飾った時にこの側面を見せるかどうかで印象が大きく変わりそう。


 


以下「People」と銘打たれた 2作品は海外の風景のような印象を受けました。

 

「People」

 

「People」


 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

[アーティストステートメント]

昨年コロナ禍により数年行くことのできていなかった海外へ行くことが出来、改めて場所やそこにある文化の違いを感じてくることができました。

私が以前よりモチーフにしてきた人物と生活、ファッションなども場所や時代によって大きく変わることを実感し、どこに立つのかということがとても重要なことなのだと考えました。

今回の展覧会は銀座、京都岡崎と二箇所同時に行いますが、テーマとモチーフは同じものを扱っており、私は一つの展覧会と捉えています。

私が制作に感じているように、東京と京都で展示場所が変わることによって同じテーマで描いた作品のもつ性格や見え方も変わってくるのだろうと楽しみにしています。

 

 

(【展覧会】長島伊織 個展「Another Film」ページより 抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     

 

海外の何気ない一瞬ってなんであんなにかっこよく見えるのだろ?

 

「People」の2作品や以下の作品群にも、あの、私に浮かんだワードの感じがすごく出ています。

 

 

 

「Books」

うおお、まさにそのワードの感じがする。

 

 

 

「Window」

このトリミングの仕方とか。

 

 

 

「Mirror」

作品を見れば見るほど、当てはめてしまう、、、。

 

 

 

「A night landscape」

この正面にある大きな作品で確信しました。

 

 

いい加減、もったいぶり過ぎなので、ここでそのワードを明かします。

 

それは「雑誌」です。ファッションフォトとも言えるでしょうか? 雑誌をめくると各作品が現れるさまを想像出来る。また、その雑誌のインスタグラムアカウントに登場する投稿写真として見ても、とてもしっくりきませんか?

 

いや、これは逆に考えると、具体的な対象を写し出しながらも限定されない物語、というのは雑誌に用いられる写真に備わった要素、と言えるのかも知れません。マーケティングである程度絞られた読者に向けられたものだとしても、それぞれ置かれたシチュエーションに添うような幅のある写真が使用されている、と。

 

これには長島さんの生年も大きく関わりがあると思っていて、1997年生まれということなので、インスタグラムのサービスが開始された2010年に13歳、IGの黎明期がティーンエイジャーの時に重なるんですよね。これは、例えば「キャラクター絵画について」の時にも出てきた「〇〇ネイティブ世代」というジェネレーション特有の表現なのかも知れない。IGの隆盛により、雑誌の中でよく見られたファッションフォトを、スマホの画面で日常的に大量に目する時代に育った世代の表現、と言えるかも知れません。ご本人に話を伺ったわけではないので、全くIGを見ていない生活を送っていたという可能性もあり、その場合は私の考察は見当はずれなわけですが。

 

また、古典絵画をどの時代に設定するかにもよりますが、ロココ時代の絵画などは当時の服飾やインテリア文化を知る雑誌的な見方も出来ると言えそうなので、「現代の古典絵画」と「雑誌に使用されるファッションフォト」との位置関係は非常に近いところにあるのではないか? という考えに辿り着きました。

 

 

 

では「雑誌に使用されるファッションフォト」がフォトではなく、描かれた「絵画」になることで何が起きるのか?そこにこそ、長島さんの作品が私の中でずっと印象に残っていた理由があるのではないか?

 

それは残っているキーワード =「抽象性」ということにヒントがありそうです。絵の具の「垂れ」だったり、平面的な描かれ方、また長島さんの作品は写真に収めようとすると肉眼で観た時と違う色が見えたりするんですが、そのような微妙な色合いや筆跡の残し方に、写真にはない、ペインタリネスの強調を見ることが出来ます。

 

ペインタリネスという言葉については、現代美術用語辞典 1.0 さんの説明を以下にまるっと引用させていただきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ペインタリネス/ペインタリー(マーレリッシュ)

Painterliness / Painterly (Marlerisch)

2009年01月15日掲載

 

絵の具の「塗り」を強調した絵画のありようのこと。「絵画的であること」などと訳される。より具体的には、輪郭が曖昧で開放的な形態、形態よりも色彩の力の重視、素早く、ダイナミックなタッチの多用、色むらの効果的な利用、といった特徴のこと。クレメント・グリーンバーグはこれを、抽象表現主義の絵画の重要な特徴だとした。ただこのペインタリネスという概念は、単独で十分な意味を発揮するものではない。「線的であること」、つまりドローイング=素描、あるいは閉じられた明確な輪郭「線」を強調した絵画のありようとの対比のなかで、理解されなければならない。この対概念はもともと美術史学者ハインリッヒ・ヴェルフリンによる。彼はルネサンス美術からバロック美術への展開を「彫塑的 (plastisch)/線的」から「絵画的(marlerisch [=painterly])」への展開とし、またこの理解がほかの時代の展開にも応用できると考えた。そしてグリーンバーグによれば、抽象表現主義とその前後の絵画の展開もまた、16世紀以降西洋美術史のなかで連綿と続いてきた、「絵画的」と「線的」の二つが織りなす弁証法的な発展史の一部に、位置づけられる。彼のこうした主張の裏には、それらアメリカの美術がヨーロッパの正統に連なるものだという、強烈な自負も窺える。

 

[執筆者:林卓行]

 

 

(現代美術用語辞典 1.0 ペインタリネス/ペインタリー(マーレリッシュ)より 引用)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

現代の状況に即して、上記引用から導けば、輪郭を有する線的「キャラクター絵画」の対になるものとして、長島さんの絵画的表現の作品群を捉えることも出来ます。

 

「線的」なものが溢れる時、対局として「絵画的」なものが現れる。

 

また、長島さんの作品の「抽象性」や「絵画的」な部分を際立たせているのは、「雑誌に使用されるファッションフォト」= 写真を想起させることにより、それとの比較が容易であること、と言えるかも知れません。

 

 

 

「Books」(部分拡大)

白って200色あんねん、じゃなくて、この本の文字部分の周りを囲うような白の刷毛跡に注目してしまう。

 

「Window」(部分拡大)

右上のレンガの表現は筆跡を利用して立体的な影が出来ている。反対に、窓の枠 (向かって左側) には現実にはありえない絵の具の垂れがある。


 

「Mirror」(部分拡大)

ミラーと分かりますが、ミラーの金属感や丸みのある立体感などを潔く無視して平面的表現に振り切っている。

 

「A night landscape」(部分拡大)

どこかに照明が存在するような、暗闇から浮かび上がる木と植物。光の当たった部分を筆数少なく表現していて、わずかに花の色が読み取れる。


 

 

 

私見を繰り広げてきましたが、この、「キャラクター絵画」や「ファッションフォト」の対になり得る「絵画的」な表現としての「抽象性」ということが、今後もどう表現されていくのか、とても興味深いです。

 

 

ぜひ、足を運んでみてください。

 

 

 

「Little landscape」

 

 

 

 

 

 

展示風景画像:長島伊織 個展 「Another Film」FOAM CONTEMPORARY 2023


関連記事

 




関連商品リンク