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【おすすめ BOOK】 絵画論 [改訂新版]

 

絵画論

[改訂新版]

 

レオン・バッティスタ・アルベルティ

三輪福松 = 訳

中央公論美術出版

2011年


最初の芸術論

 

『1冊で学位 芸術史』を読了した際の感想で、「理論」の章に登場する哲学書や美術批評を追っていこうという指針を打ち立てていました。

 

件の書籍の第1・4・7章は芸術「理論」を軸として、色々な著作が出てくるのですが、その中でまず手に取ったのは、第4章で「芸術理論の誕生」「絵画を扱った史上初の論文」として登場したレオン・バッティスタ・アルベルティの『絵画論』(1435年) です。

 

アルベルティはイタリア・ルネサンス初期の建築家として美術史に登場します。フィリッポ・ブルネレスキ (現代において、イタリア・ルネサンスのイメージとして必ず登場してくると言ってもいいほど象徴的なサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームを設計したことで有名) と並び、線遠近法とも言われる透視図法を初めて用いたのはブルネレスキで、アルベルティはそれを理論として著した、という文脈で出てくることが多いです。

 

そのように「線遠近法を理論として著したもの」とされる本書『絵画論』なので、そのつもりで読んでいたのですが、実は、単なる技術書ではなく、前述のように「初めての芸術理論」ということに、より大きな意味があるということが分かりました。

 

そしてそしてさらに、巻末の解説、および訳者の三輪福松さんが本書を完成させるまでに至った道が書かれているあとがきこそ、読んで良かった!と思える本でした。

 

 

 

紙質と字体と活版印刷(?)

 

内容に入る前にまずもって心惹かれたのは、この本の紙質と字体と活版印刷 (と見受けられるインクの濃淡) という物質的なものです。

 

黄味がかったアイボリーの紙に懐かしい字体、そして以前に用いられた漢字表記 (例:刺戟) 、どうやら活版印刷のようなインクの濃淡、それらに何か清々しい緊張感を覚えました。本とは知の地層である、といったような。

 

 

この [改訂新版] は2011年に出版されていますが、三輪福松さんの訳は1971年に出版されています。後述しますがあとがきに記されたこれまでに至る訳者の物語を感じさせる「本」としての実体に、先人の「知」の積み重ねの歴史を感じ、「本とは、、、こういうものだった!」と、どこか懐かしいような、敬虔な気持ちになってしまいました。ううむ、いい。本は実体を持っているのがいい、、、。電子書籍も便利なんですが、物質自体が持つ力を久しぶりに実感したかも知れない。

 

この物質から感じ取られた感覚も本書の内容に即しています。内容だけを求めるなら電子書籍でいいのか? いや、視覚、触覚、嗅覚を駆使して「本」を読めなければ「芸術論」のスタートにも立てないだろう、なんて。やっぱり『絵画論』は技術書じゃなく絵画を描くことの精神についての書でもあるんだ!

 

 

 

内容について

 

アルベルティの『絵画論』は3章 (本の中では三「巻」と表記されています) で構成されています。そして、人物の高さを3つに分けた長さを1単位としたり、絵画を構成する要素を3つ (輪郭・構図・採光) 挙げたりしています。キリスト教には三位一体 (父・子・聖霊) の考えがあるので、3という数が重要な意味を持っているのかも知れません。

 

3という数字のことは私の勝手な感想なので深掘りはやめておきます。内容について、まず、第一巻とされる1章目ではいわゆる線遠近法の方法が語られています。このあたりまでは、線遠近法を知っている後世の身としてちょっと上から目線で読んでました。訳するに難解な文章も多かったようで、註釈ではアルベルティが記した通りに線を引いてみた、という具体的な図なども載っていて、ふむふむ、ちょっと分かりにくい、という感想です。本書の解説でも、「アルベルティの試みた「絵画について」の遠近法の作図の叙述には明確さを欠いている。彼の幾何学に関する理解が部分的に正確でないためである。(『絵画論』[改訂新版] 三輪福松 = 訳 解説 より抜粋) 」とあったりします。

 

私が美術史の流れの中で大まかに理解していたアルベルティの『絵画論』は、線遠近法を理論として著したもの、と書きましたが、実際、第一巻、二巻、三巻と章を読み進めると、線遠近法だけではなく、色と光にも言及した色彩による明暗についてやキアロスクーロの考えであったり、点描に繋がりそうな記述、隣り合わせた色彩についての考え、など、後世のバロック、印象派、新印象派、現代の作家 (ゲルハルト・リヒターのカラーチャートとか) にまで影響を与えたのではないか? と思ってしまう記述が多いです。人体についても解剖学的観点から描くことなどが書かれていて、この理論を究極的に体現したのがレオナルド・ダ・ヴィンチと考えられるのも、この本の興味深いところと言えるかも知れません。

 

ただ、私が最も心惹かれたのは、第二巻 (章) から語られる「絵画を描くにあたっての精神について」とも言える記述です。解説にも「アルベルティは、美術家が職人であるというレヴェルより向上し、真の独立した芸術家になることを望んでいた。(『絵画論』[改訂新版] 三輪福松 = 訳 解説 より抜粋) 」とあります。アルベルティは、絵画を他の建築や鍛治、彫刻という創造活動の大元に存在する技術とし、鉛のように価値があまりないとされる素材でさえも銀よりも高く評価されるようになると記しています。第三巻 (章) では、画家たるもの鍛錬を怠らず、あらゆる学芸に通じるのが望ましいとし、人格に及ぶまでその矜持について語っており、アート好きとしても身が引き締まる思いです。一つ具体例を挙げると、模写に関する以下の記述などは、AI による絵画作成が可能になったとされる現代の風潮に異を唱えたい私に、すっと響くものでした。

 

 

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しかし、われわれ現代画家が、次のことを理解しない限り、大きな誤ちに陥ってしまう。すなわち、それは画家が自然そのものから見ることが出来るのと同じように、前述したヴェールの中に、甘美で正確に描かれたものを見ることが出来るように、そういうものを君の前に表現しようと腐心していることなのである。

(中略)

なぜなら、描かれたものからはただそれを模倣する以上に何者も得られないからである。

 

(『絵画論』[改訂新版] 三輪福松 = 訳 第三にして最後の巻 より抜粋

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、、、上記をAI による絵画作成への反論の文脈で引用するのは補足が必要と思います。一度描かれたものの模倣はそれ以上の何者も得られない (絵画の模倣は元の絵画以上のものを得られない) ということから、すでに存在する作品なり画像なりの平均値からしか絵を作成出来ないAI には限界が見えているのです。

 

 

 

ルネサンス期以前の中世において画家は職人という性格が強い存在だったとされています。アルベルティが画家を職人ではなく芸術家として認識されるよう、遠近法やその他の技術について文字に起こし、絵を描くということはどういうことか、を論じていく様はとても勇気づけられるものでした。同列に論じるのはおこがましいのですが、日本のアートがビジネスとして成り立たない時代を経験してきた身としては、何をどうしたら絵画の地位を確立出来るのか、と腐心しているアルベルティの文章に友人のような親しみを覚えました。

 

アルベルティは古典に深い造詣があり、この『絵画論』も初めにラテン語で記されたとされています (後、広く実技家に読んでもらうためにトスカナ語 (イタリア語) に訳した。ラテン語とトスカナ語のどちらが先だったかは諸説分かれるようです) 。本文にも、キケロやプリニウスといった過去の著述家を多く引用しており、過去に論拠を求め、当時の画家がこれから歩むべき道を示そうとしたことが、本書が初の芸術論として認識される所以と思います。

 

 

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アルベルティの「絵画について」の出現は、まだ新旧の芸術が入り交っている時で、これらの新芸術を擁護し、ブルネレスキやマサッチョの試みたことを理論的に説こうとしたのである。したがって、彼の「絵画について」は最初の近代的芸術論であり、近代芸術の道をここに切り拓いたといってよい。

 

(『絵画論』[改訂新版] 三輪福松 = 訳 解説 より抜粋

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あとがきで、、、感動した

 

巻末のあとがきには、訳者の三輪福松 (1911-1998) さんがアルベルティの「絵画について」(絵画論) に出会い、訳を完成させるまでの、人生とも呼べる話が簡潔に綴られています。画家志望だった三輪さんが美術史学を生涯の仕事にしようと決意したきっかけとなった講義から始まり、卒業後、志を共有できる友人と出会うも、戦争により1人は亡くなり、1人は東京大空襲のために郷里に戻ることになり、鍋釜とともに託されたのがアルベルティの翻訳の草稿だったと続いていきます。そこから、それを完成させる挑戦が始まるのです。イタリアへの留学を経て、自身の研究と並行して行われた翻訳は、その間にヤニチェックからマッレ、J.R.スペンサーと、新しい訳本が出版される度に底本を変え、原稿に手を入れ続け、やっと完成したという経緯が述べられています。必要以上のことは語られていない文章ですが、その道の長さに敬意を表さずにはいられません。

 

DeepLだChatGPTだと、AI を毛嫌いしているようでいて、実際は都合よく利用している私です。意味を取るだけの簡単な翻訳であれば短時間で簡単に出来る現代ですが、一つの本の翻訳にまつわる先人の情熱に頭の下がる思いでした。

 

アルベルティ、三輪福松さん、そしてその間にも多くの人が引き継いできたものは、AI による翻訳と違い、友人のように語りかけてきます。

 

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絵画は、友情がそうであると同様、不在の人を出現させるばかりでなく、死んだ人を、ほとんど生きているかのようにする神のような力をもっている。(1)

 

註1 Cicero, De amicita, vii, 23. なお、キケロのこの「友情について」のアルベルティ所有の写本が、ヴェネツィアのサン・マルコ図書館に現在保存されている。

 

(本文、註釈ともに『絵画論』[改訂新版] 三輪福松 = 訳 第二巻 より抜粋)

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ここに記したこと以上の、さまざまな発見がある

 

感想として、やや感傷的なまとめになりました。本書の内容には細かく触れませんでしたが、現代の批評へも展開出来そうな論もあり、そのことに純粋に驚いています。読む人により、細かい発見は異なると思います。本は人に読まれてこそ。ぜひ、手に取ってみてください。

 

 

 


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