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【おすすめ BOOK】コンスタンティヌス大帝の時代

 

コンスタンティヌス大帝の時代

 

ヤーコプ・ブルクハルト

新井靖一 = 訳

筑摩書房

2003年


 

『コンスタンティヌス大帝の時代』という本について、読了後の感想を書きたいと思います。果たしてこれを「アート本」としておすすめ出来るものなのか。どちらかというと歴史書ですし、読書があまり得意ではない私は読むのにそれなりの時間もかかったので、ひょっとしたら同様に「読みにくい!」と思う人もいるかもしれません。でも「現代の」アートにも関連した視座を与えてもらったので、ご紹介しようと思います。

 

まず、なぜ本書を手に取ったのかというと、一般科目等履修生として受講した大学院の授業で、コンスタンティヌス大帝の時代周辺のことが書かれた英語の論文を選び (選んだ理由は論文タイトルに惹かれたため。その論文もかなり面白かったのですが、話がややこしくなるのでここでは共有しません。)、論文の読解に取り掛かった当初の、コンスタンティ スとコンスタンティ スの違いも分かってなかったレベルの理解度を上げるための補助的な読み物を図書館で探していたから、というものです。ブルクハルトの著作を読んでみたかった、というのもあります。

 

 

 

 

 

著者、ブルクハルトって?

 

著者はヤーコプ・ブルクハルト、スイスの歴史家です。「ルネサンス」という言葉を「広めた」人物ということで知られています (「ルネサンス」という言葉を初めて使ったのは別の人です) 。

 

『コンスタンティヌス大帝の時代』はブルクハルトの1853年の著作で、1855年の『チチェローネ イタリアの美術品鑑賞の手引き』や、前述した "「ルネサンス」という言葉を広めた " といわれる著書『イタリア・ルネサンスの文化』(1860年) に先駆ける、ブルクハルトの実質的な処女作といってもよいものです (実際、本書の訳者、新井靖一さんによる訳者後記には「いわばブルクハルトの処女作といえる本書」とあります) 。

 

 

 

 

歴史というより「文化史」

 

本書には前書きとして「第一版序言」と「第二版序言」があり、それによると

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本書の著者の目的は、ディオクレティアヌス帝の登場からコンスタンティヌス帝の死にいたるまでの注目すべき半世紀を過渡期時期と捉え、それの特色を述べることであった。

(中略)

著者は当時の世界をいかにもよく表わし、その本質的特性を示している諸々の輪郭を集約して一つのはっきりとした 形象イメージ にしようと努めてはいる。

 

(本書 第一版序言 より抜粋)

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著者の念頭に浮かんでいた目標は、完全な歴史的叙述というよりはむしろ、表題に示されている重要な過渡期時期についての文化史的総合記述であった。

 

(本書 第二版序言 より抜粋)

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と書かれているように「歴史」というよりは「文化史」としての性格が強いです。どのように「過渡期だった」のか、というのは次の段落「コンスタンティヌス大帝とは?」で触れたいと思います。

 

 

 

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歴史縦断的というよりはむしろ歴史横断的であるという点、

(中略)

逸話といったような、通常歴史記述では取りあげられないような現象を、その時代と地域の精神において創られたものという視点から、むしろ文化史的真実として重視するといった姿勢

 

(本書 訳者後記 より抜粋)

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「読みにくい」はずの本書がとても面白く感じられる理由の一つには、このように、当時の逸話から考察がなされている、という点にあります。

 

古代ローマの時代、人々はそうとう迷信深かった、、、って言ったらちょっと興味湧きませんか。

 

 

 

 

 

コンスタンティヌス大帝とは?

 

タイトルにもなっているコンスタンティヌス大帝 (在位306-337年) ですが、私がコンスタンティ  スとコンスタンティ  スの違いを分かってなかったというくらいだったので、簡単に説明させてください。ややこしい名称ですが、コンスタンティヌス大帝のお父さんがコンスタンティウス1世で、コンスタンティヌス大帝の息子にコンスタンティヌス2世とコンスタンティウス2世がいます。英語表記だと、コンスタンティヌスは「Constantine」(ちなみにコンスタンティウスは「Constantius」) なので、ちょっと勝手にキアヌ・リーブス主演の映画「Constantine」とコンスタンティヌス大帝を関連づける話は後述します。

 

トラヤヌス帝 (在位98-117年) の時代に領土が最大に広がったローマ帝国ですが、あっちこっちの国境から攻められるわ、国内では皇帝がしょっちゅう暗殺されて交代になるわ、で荒れるようになり、ディオクレティアヌス帝 (在位284-305年) はローマ帝国を4つに分けて4人で統治することにします (四分統治) 。これで、正帝 (称号はアウグストゥス) と副帝 (称号はカエサル) が、東と西に1人ずついる状態になります。

 

初の四分統治の図

 

Coppermine Photo Gallery

許可の詳細:

Coppermine Photo Gallery (CPG) is an open source project released under the GNU/GPL terms.

 

ローマ帝国、広過ぎ問題、、、。

現在のイギリスからフランスあたりの黄色で塗られた地域を収めていたのが西の副帝コンスタンティウス1世で、コンスタンティヌス大帝のお父さんですね。


 

 

 

しかし、その四分統治もディオクレティアヌス帝の類稀なる手腕とカリスマがあってこそ保たれていたもので、ディオクレティアヌス帝の退位後すぐに崩れてしまいます。四分統治後に再度ローマ帝国の統一支配を成したのがコンスタンティヌス大帝です。この間、、、四分統治の開始 (286-292年) からコンスタンティヌス帝が単独の皇帝になる (324年) まで、、、半世紀未満じゃないですか! 激動の時代。 

 

さらに個人的に「うわー、世の中変わり過ぎ!」と思ったのが、キリスト教の扱いに関してです。ディオクレティアヌス帝の在位時に行われたキリスト教徒の迫害が303年、キリスト教徒の強制的な改宗、聖職者の逮捕および投獄などの勅令を出しました。そして、10年後の313年、コンスタンティヌス帝はリキニウス帝 (この時はまだ単独の統治ではなかった) と共にミラノ勅令を出し、他のすべての宗教と共にキリスト教を公認します。こういう書き方すると、迫害されていた人たちが認められてよかったねー、という感じになりそうですが、実際にはその後政治の舞台に「キリスト教」の影響が色濃く出てくるので、すごい変化なわけです。逮捕されるような宗教が、10、20年のうちに、内閣の大臣クラスに多大な影響を及ぼす状況と考えると「やば!」と震え上がる心境です。もともと他の宗教に関して寛容だったローマ帝国が、303年にキリスト教を迫害しなければなかった理由は、他を排除する一神教であり、政治を脅かす勢力と見做されたからというのもあると考えると、やっぱり怖い変化ですよね。

 

そのミラノ勅令もあって、コンスタンティヌス大帝は「熱心なキリスト教信者であった」というシナリオを立てられがちですが、ただ政治に利用したかっただけという説が有力になっています。

 

 

 

 

 

目次と、面白く読めた章を紹介

 

そんな激動の「過渡期」時代を文化史的観点から記述したのが本書というわけです。

 

図書館で借りた本には帯はありませんでしたが、自分用に買い直したので、帯付きが手元にあります。

 

この帯の文言、かっこよ過ぎる。

 

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ローマ帝国はなぜ滅んだか? ——

ディオクレティアヌス帝からコンスタンティヌス帝にいたる

4世紀初めの50年間が、古代ローマの歴史を決めた。

栄光の異教的古代世界は衰退し、キリスト教中世への道が着々と準備される。

「内的変質」をともなうドラスティックな変化、

たった50年に凝縮されるこの変化に、いったいだれが気づいていたというのか。

 

胸躍る文化史の金字塔

本 邦 初 訳

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目次を下記に転載します。

 

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第一版序言 (一八五三年)

第二版序言

第一章 三世紀におけるローマ帝国の権力

第二章 ディオクレティアヌス帝——その養子縁組制度と統治

第三章 個々の属州と隣接地帯——西方地域

第四章 個々の属州と隣接地帯——東方地域

第五章 異教世界とその諸神融合

第六章 霊魂不滅とその秘儀——異教の 神霊 ダイモン 信仰化

第七章 古典古代的生とその文化の老化

第八章 キリスト教徒迫害——コンスタンティヌス帝と帝位権

第九章 コンスタンティヌス帝と教会

第十章 宮廷、行政、そして軍隊——コンスタンティノポリス、ローマ、アテナイ、そしてエルサレム

コンスタンティヌス家系図

年表

参考図

地図

訳者後記

人名索引

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前半は歴史の詳細という感じがあり、特に第一章は五賢帝の時代 (96-180年)から歴代のローマ皇帝の略歴が綴られ、ディオクレティアヌス帝の直前は軍出身者が皇帝暗殺をけしかけられ就任、また暗殺、的なことが 1、2年で繰り返され、とにかく荒れてるなーという印象でした。エンペラーの語源となったインペラトルとはもともと「最高軍司令官」という意味なんですよね。初代ローマ皇帝のアウグストゥス (在位BC27-AD14年) が最高軍司令官の称号も持っていたので、皇帝の意味になった、ということです。なので、日本の天皇をエンペラーと訳すのは、西欧の人にはどうも誤解を招く表現な気もします、、、。征夷大将軍がエンペラーに近いような?

 

 

 

面白くなってくるのは後半です。

 

目次を見るだけでも気づけることとしては第六章の「 神霊 ダイモン 」という部分。デーモンの語源のダイモン。悪魔じゃないんだ、(キリスト教から見た) 異教の神霊なんだ、って思いました。

 

そして、私が一気読みしてしまったのは第八章です。上にも「ディオクレティアヌス帝の在位時に行われたキリスト教徒の迫害が303年」みたいな書き方をしましたが、なぜディオクレティアヌス帝がキリスト教迫害を行ったのかは謎が多く、「ローマ帝国が、303年にキリスト教を迫害しなければなかった理由は、他を排除する一神教であり、政治を脅かす勢力と見做されたからというのもある」とか書いてしまいましたが、ディオクレティアヌス帝はキリスト教に比較的好意的だったらしいのです。

 

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それどころか帝は神聖犯すべからざる自身の周囲にキリスト教徒の侍従や小姓がはべるのを許し、この者たちに対し父のような好意を示した。廷臣たちは妻子ともども帝の眼の前でキリスト教の礼拝を行なうことを許された。

(中略)

各地の大都市にはなんのはばかりもなく壮麗をきわめた教会が聳えたっていた。——政府は、もし将来迫害を行なおうといったことをなにか考えていたとしたら、キリスト教徒を増大させてこのようになんなく国家内の一大勢力にするわけがなかった。

 

(本書 第八章 キリスト教徒迫害——コンスタンティヌス帝と帝位権 より抜粋)

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しかし、もしかしたらこうした事態の真の事情を叙述していたかもしれない唯一の史家たち——アンミアヌス (三三〇頃ー三九五頃。歴史家) とゾシモス (五世紀のギリシアの歴史家) ——の著作は 毀損 きそん されているのである、それもおそらくは真の事情を叙述したために。

 

(本書 第八章 キリスト教徒迫害——コンスタンティヌス帝と帝位権 より抜粋)

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うわー。陰謀渦巻く危険な匂いがするーーー笑。

 

この件のブルクハルトによる推察は本書を読んでいただくとして、この第八章をついつい面白く読み進めていってしまう他の理由には、コンスタンティヌス大帝のそばにいた司教にして歴史家、カイサレイアのエウセビオスへの悪口が一番辛辣に書かれている章だから、というのがあります。

 

 

 

 

 

カイサレイアのエウセビオスとプロパガンダ

 

カイサレイアのエウセビオス (260-265ごろ-339年) は、イスラエルのカエサリア・マリティマというところの大司教で『教会史』や『コンスタンティヌス大帝伝』などの著作で知られます。話題にしている 4世紀の事柄を知る手がかりとして著作が参照されることも多いのですが、ブルクハルトが嫌悪感を示しているように、キリスト教に権威を持たせるため、事実の隠蔽や誤読を誘うような記述が多いことでも知られています。

 

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コンスタンティヌス帝についての記憶は、歴史という観点から見たとき、考えうるかぎり最大の不運を持っていた。異教の著作家たちが彼に敵意を抱かざるをえなかったのは自明のことであり、このことは後世の眼から見れば彼にとってなんの不利にもならないであろう。しかしながら彼は、あらゆる賞賛演説家のうちで最も不快な者の手中に陥っていた。というのも、この者はこの皇帝のイメージを徹底的に歪曲しているからである。それはカイサレイアのエウセビオスであり、そしてその『コンスタンティヌス大帝伝』である。

 

(本書 第八章 キリスト教徒迫害——コンスタンティヌス帝と帝位権 より抜粋)

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エウセビオスは人物について述べているが、じつはただある事柄だけを、すなわち、コンスタンティヌス帝によって非常に強力に、かつ十分に確立された教階制度の利害のことだけを考えているのである。これにさらに——真に嫌悪すべき文体のことはともかくとして——意識的に曖昧化している表現法が加わる、その結果読者はここぞという最も重要な箇所で落し戸や奈落に足を踏みこむことになるのである。ちょうどうまい時にこうしたものに気づいた人は、そのことによってむしろ、自分に何かが隠蔽されているというまさにその理由から最悪のことをうかうかと推測させられてしまうのである。

 

(本書 第八章 キリスト教徒迫害——コンスタンティヌス帝と帝位権 より抜粋)

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すごいですね。内容だけでなく、文体もキモい、と付け加えられています。

 

本書全体を通しても、エウセビオスの記述は全く信用出来ないが他に記されたものがないのでこれで満足するとしよう、的なことが書かれていたりとか、とにかく皮肉たっぷりです。

 

エウセビオスの罪深いことは、コンスタンティヌス大帝は「熱心なキリスト教信者であった」という印象を作った、ことにありそうです。

 

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ついにパレスティナの管区長に宛てた勅令と、リキニウス帝に対する最終的勝利のあと (三二四年) オリエント属州の諸民族に向けて発布した勅令とともに、皇帝の一見まったくあからさまで、個人的なキリスト教への帰依が続く、そしてキリスト教信奉者たちは迫害による諸々の結果から解放され、ありとあらゆる恩恵を与えられて、以前の地位と財産を取り戻すのである。多神教に対してはこれらの文書において激しく論駁される。虚僞の聖地、暗黒、ただもう耐えぬくほかはない悲惨な迷妄等々のことが述べられる。しかしながらコンスタンティヌス帝はここで自ら筆をとっているわけではない、もっともエウセビオスは自筆原本を見たと主張してはいるが。

(中略)

そしてこの皇帝は、すこし詳しく検討すれば分かるように、自分がキリスト教徒であるとさえ称していないのである。

 

(本書 第九章 コンスタンティヌス帝と教会 より抜粋)

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本書においてブルクハルトの描き出すコンスタンティヌス帝の人物像は [野心と権勢欲が一刻の平穏の時も与えないような天才的人間] であり、[このような人間はじつにその本質において 無宗教 、、、 なのである、たとえ彼が、教会共同体の真只中に立っていると思いこんでいるとしてもである。] ([ ]内 本書 第九章 コンスタンティヌス帝と教会 より) というものです。

 

 

 

 

 

過渡期には芸術はどうなっていた?

 

皇帝の正確な人物像でさえゆがめられた激動の過渡期において、芸術はどうなっていたのでしょうか?

その何世紀も前から、芸術は形態よりも主題を重視されたと言います。

 

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結局のところキリスト教建築は初めからどうしても、好ましくない仕方で教会の傾向に関与せざるをえない状態にあったのである。この傾向は建造物全体を、それどころか石一つ一つさえも己れの力と勝利のシンボルとしたいのである。

 

(本書 第七章 古典古代的生とその文化の老化 より抜粋)

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彫刻と絵画の 凋落 ちょうらく は、建築術と軌を一にして、同一の、もしくは似たような原因から生じている。

(中略)

ここでもまず材料の贅沢が疑いもなく有害な影響を与えている。

(中略)

芸術的独創性を示すなんらかの明白な特色は、この信じがたいほど堅く、扱いにくい石の場合には問題にならない。手もとにある雛型を見ながらする奴隷の仕事なのである。これとまったく類似したやり方で、モザイクは絵画を堕落させずにはいなかった。

 

(本書 第七章 古典古代的生とその文化の老化 より抜粋)

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鑑賞者がまずその豪華絢爛を念頭におき、次に主題のことを思い、最後に描写に思いをいたすか、もしくはそんなことはまったく考えなかったからである。

 

(本書 第七章 古典古代的生とその文化の老化 より抜粋)

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さらに、石棺彫刻は、稀に特別な注文に応じて、むしろほとんどもっぱら買入れてもらうことをあてにして制作されたために、それゆえ拙劣で華美好みの月並みな趣味を追い求めざるをえなかったために、堕落させられたのであった。ついにここにおいて題材が優勢となった、それも芸術にとって不利になるような意図的な解釈をされて。

 

(本書 第七章 古典古代的生とその文化の老化 より抜粋)

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何世紀も通して芸術は、その主題の完全な支配下にあり、己れの内的法則にしたがって生きることが全然許されないか、もしくは不十分にしか許されていない。

 

(本書 第七章 古典古代的生とその文化の老化 より抜粋)

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このような記述を見たときに、状況は全く違うはずの現代の日本においても、ちょっと当てはまる部分があるのではないか、というような考えが浮かびました。材料の贅沢さや豪華絢爛さはそこまで大きく取り上げられないにしても、「芸術が主題の支配下にある」というようなことは「現代アート」の一部の傾向として考えられそうです。

 

 

 

そんなことを考えてしまったのも、古代ローマの状況の記述に

 

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この国の諸方の都市は大部分無産の最下層階級で満たされており、これに反してこの国の農村人口はひどく減少していて、その結果いたる所で蛮族の移民団で補ってやらねばならなくなっていたからである。

 

(本書 第九章 コンスタンティヌス帝と教会 より抜粋)

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とか

 

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コロッセウムだけでおそらく全住民の十五分の一を容れることができたであろうし、円形競技場は最大限十分の一以上を容れることができたであろう。そのような空間を満たすためには、言うまでもないことだが、数百年来その支配者たちによってこうした場所に行くように育てあげられ、施し物で生活し、ますます増大する、間断のない享楽しか知らず、またそうした享楽しか欲しなかったような民衆を必要とした。ほとんど、もしくは全然働いていない大量の未婚の人たち、富裕な属州住民の移住、贅沢と堕落の集中、最後に最大の統治上の問題と金銭問題の合流が、ローマの住民にある種のタイプを、すなわちなんとしても自分が人と違わないと我慢のならないようなタイプを付与することになったにちがいない。

 

(本書 第十章 宮廷、行政、そして軍隊——コンスタンティノポリス、ローマ、アテナイ、そしてエルサレム より抜粋)

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とかいうものがあり、今の日本の状況と似てなくもない、と思ってしまったからです。

 

形態よりも主題に重きを置く、とは、作品の形そのものの美しさよりも作品に現れる作者の主張や思想に重きが置かれる、ということです。それらはひょっとしたらプロパガンダに利用されやすい、ということを少し念頭に置いても良いのかもしれません。

 

 

 

 

 

勝手に映画「コンスタンティン」を思い出した

 

ここからは本当に私の勝手な連想です。

 

先にも書きましたが、コンスタンティヌスの英語表記は「Constantine」です。

 

2005年公開の映画「コンスタンティン」(原題:Constantine) は、キアヌ・リーブス扮する悪魔祓い師ジョン・コンスタンティンを主役とするファンタジー・アクションです。ローマ帝国はまったく関係ありません!

 


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原案はDCコミックス刊行のアメリカンコミック『ヘルブレイザー』(Hellblazer) です。ジョン・コンスタンティンは黒スーツに黒ネクタイで、まるで日本の葬式参列スタイルですが、不思議とかっこいいんですよね。2022年放送のアニメ『チェンソーマン』のオープニングにも映画「コンスタンティン」の一場面のオマージュが出ていました。公安の制服も「コンスタンティン」が元ネタと言われています。

 


 

ちなみに、確か5ちゃんねるで「ジョン・コンスタンティンの名前の由来はフランスに実在したエクソシスト、コンスタンスから」というような内容を見たことがあるのですが、今探してもちょっと出てこないです、、、。でも、それならやっぱりコンスタンティヌス帝と関係ないじゃん、となるのですが。

 

 

で、そのように名前も関連なさそうだし、ローマ帝国も全く出てこないにもかかわらず、なぜ思い出したのかというと、まず、本書『コンスタンティヌス大帝の時代』においてはコンスタンティヌス帝の人物像を

 

[このような人間はじつにその本質において 無宗教、、、 なのである] 

([ ]内 本書 第九章 コンスタンティヌス帝と教会 より) 

 

とするような趣旨が繰り返されている点です。エウセビオスが作り出した熱心なキリスト教信者としての虚像を否定したいからと思われます。

 

実際、コンスタンティヌス帝はミラノ勅令を出した313年に発行した硬貨に、二重肖像として太陽神と自分の横顔を重ねた図像を用いており、太陽神信仰とも深い関係があったことがリチャード・クラウトハイマーにより論じられています (R. Krautheimer, Three Christian Capitals. Topography and Politics, Univ of California Pr, 1983) 。

 

 

R. Krautheimer, Three Christian Capitals. Topography and Politics, Univ of California Pr, 1983, fig.31


 

そして映画「コンスタンティン」では、肺ガンで死ぬ運命だが悪魔と戦うために寿命を伸ばして欲しい、神なら信じている、と言うコンスタンティンに対して天使ガブリエルがこう返します。

 

「神の存在を知っているだけ」

 

おおおーーー。まさにブルクハルトの言うコンスタンティヌス帝ではないですか。その本質において 無宗教、、、 。

 

ちなみに、映画ではコインも出てきます。こちらは、、、コンスタンティヌス帝との直接の関係はなさそうですが。

 

 

 

そして、何よりもジョン・コンスタンティンの「悪魔祓い、エクソシスト」という職業です。本書で、悪魔=デーモン=ダイモンとは、異教の神霊のことと分かりました。

 

 

 

(余談ですが、神霊についての下記の一節を読むと、先ほど挙げたアニメとその原作漫画『チェンソーマン』の設定にも通じるなぁ、と。)

 

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これらの神霊ダイモンは病気、夢、狂気をもたらし、恐怖によって人間をますます自分につなぎとめる……だからといってこれらの 神霊 ダイモン を恐れの気持から崇拝してはならない。というのも、これらの 神霊 ダイモン は、これを恐れているあいだだけしか害を与えないからである。

 

 (本書 第六章 霊魂不滅とその秘儀——異教の 神霊ダイモン 信仰化 より抜粋)

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本質において無宗教であったコンスタンティヌス帝ですが、結果的にキリスト教を自分の統治に利用したことで、異教の神霊ダイモンを祓うことに力を貸してしまったと言えます。

 

 

 

そして偶然、今年 (2023年) の 5月にTV番組「クレイジージャーニー」で放送された、憑依や除霊の研究をしているデ・アントーニ アンドレアさん (京都大学特定准教授) の回を視聴したのですが、それによると、イタリアのサルシナには偉大なエクソシストが存在し、4世紀ごろに特出した力で悪魔を退治した、というのです。ん、4世紀、、、? 今まで見てきたコンスタンティヌス帝の時代じゃないか? そして、現代の悪魔祓い師が実際に祓う手順では、まず初めに、どの「聖人」が取り憑いた悪魔に有効か、を確認していました。おおぅ、聖人、、、カトリック教会の教皇によって公式に列聖された殉教者等のことです。その情報だけ見ると、どうも「キリスト教が公認されて勢力を拡大し始めた 4世紀に、異教の 神霊 ダイモンを排除するべく盛んに行われた行為」=「悪魔祓い」のように感じてしまうんですが? 純粋に「悪魔が取り憑いた」って言うのと印象が違ってくるなぁ。そういえば映画「コンスタンティン」でも、冒頭の、少女に取り憑いた悪魔を祓うシーンでは、太陽の光に何かの印が象られたパーツを複数かざし悪魔が苦しんだものを選んで額に押し付けていました。映画「コンスタンティン」の世界観はカトリックの要素が強いので、あの印は聖人のシンボルだった可能性もありそうです。

 

ただ、「クレイジージャーニー」では、悪魔祓いを受ける際には「精神病ではない」という医学的な診断が必要、ということも紹介されており、一定の客観性を持っていることから、悪魔祓い全てが宗教的プロパガンダに使用されているものとは断定出来ないようにも思いました。ただ、その始まりはどうしても「コンスタンティヌス帝のキリスト教公認」が関係しているように感じられてならない、、、。

 

 

 

映画の続編「コンスタンティン2」は2022年9月に製作が発表されたものの、待遇改善とAIの利用制限を訴える全米脚本家組合のストライキに巻き込まれ、制作が一旦止まっているようです。進捗が気になるところですが、、、。面白かったので続きがぜひ観たい!

 

 

 

 

 

重要な時代の文化史として一家に一冊あってもよいかも !?

 

「とても昔」という印象があり古代ローマ人との共通点など普段は気にすることなどないのですが、八百万の神々という宗教観が根付く日本人の私には、異教の神々を取り込んでしまう文化にも親近感が湧き、また、衰退していく過程で、全然働いていない大量の未婚の人たち、富裕な属州住民の移住、贅沢と堕落の集中、統治上の問題と金銭問題の合流等から、享楽しか欲せず、なんとしても自分が人と違わないと我慢のならないようなタイプの民衆がほとんどを占めたというところに、今のSNSで垣間見れる日本との共通点を勝手に感じ取ってしまって、このローマの過渡期に起こったことをよく知る必要性を感じたのも事実です。そんな時、芸術はどうなった?

 

書かれている逸話や迷信の数々も面白く、借りて読了したものの、手もとに置いておきたく買い直しました。発刊から年度も経ているため、最新の研究は別途確認する必要はありそうですが、それでも、今後も「現代」と照らし合わせて重要な視座を与えてくれそうな本だと思っています。機会あればぜひ、お手に取ってみてください。

 

 

 

 

 


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