· 

【おすすめ BOOK】ニルヴァーナからカタストロフィーへ●松澤宥と虚空間のコミューン

 

ニルヴァーナからカタストロフィーへ

●松澤宥と虚空間のコミューン

 

発行:オオタファインアーツ

テキスト:ウィリアム・マロッティ

     ピーター・ファン・ダー・メイデン

     嶋田美子

2017年

 


本書について

 

本書は、2017年3月3日〜4月22日にオオタファインアーツで開催した嶋田美子キュレーションによる松澤宥 (1922~2006年) の活動を紹介する資料展「ニルヴァーナからカタストロフィーへ - 松澤宥 と虚空間のコミューン」のカタログです。

 

2022年2月2日~2022年3月21日に長野県立美術館で開催された松澤宥の生涯をたどる回顧展「生誕100年 松澤宥」の際にミュージアムショップにて販売されていました。

 

松澤宥は日本概念派の始祖とされながらも、色・言語・記号・行為による芸術等その多岐にわたる活動や、アーカイブが困難な活動の性質 ( - 作家名も作品名もなくなるアートであり - 「フリー・アートの予感」より) から総括的な検証が遅れていました。下諏訪のアトリエの老朽化問題もあって、自作他作入り乱れた作品群が聖域のように並べられた伝説の蚕室「プサイの部屋」のアーカイブに長野県立美術館が取り掛かったのは2018年。2017年のオオタファインアーツでの展示は未見ですが、本書は、松澤が最も精力的に活動した1969~73年に時代を絞り、豊富な資料とともに時代を追って国内外の視点からまとめられた、大変わかりやすく有意義な資料集と言えます。

 

 

長野県立美術館での回顧展「生誕100年 松澤宥」においても、豊富な作品と資料、映像等が展示されていましたが、作品1点1点に込められたコンセプトへの理解や、膨大な文字作品などを追うことに気が向いてしまい、松澤の活動を俯瞰で理解するにはなかなか時間を要するように感じました。同時期に開催されていた下諏訪での「松澤宥 生誕100年祭」へ移動する間に本書で最盛期の活動を捉えることができたのは個人的に非常によかったと思います。

 

 

コンセプチュアル・アートと松澤宥

 

本書のコンテンツは、1 ニルヴァーナ以前 (1950年代〜68年)  2 ハガキ絵画 (1966〜68年)  3 美術という幻想の終焉 (1969年)  4 アート・アンド・プロジェクト (1969年〜73年) 消滅と出現:オランダのプサイ  5 ニルヴァーナ (1970年)  6 フリー・コミューンの萌芽 (1970年〜71年)  7 世界蜂起 (1971年〜73年)  8 ひらかれている (1972年)  9 カタストロフィー・アート (1972年〜)  10 ニルヴァーナ・コミューンその後、となっており、中でも読み応えがあったのは、コペンハーゲン大学講師のピーター・ファン・ダー・メイデンが著した 4 アート・アンド・プロジェクト の章です。

 

1964年6月1日に「オブジェを消せ」との啓示を受けた松澤が、60年代に起こったコンセプチュアル・アートや非物質化というアートの流れに沿うような形で国外で受け入れられた様子が、オランダのアート・アンド・プロジェクトとの関係によって浮き彫りにされています。アート・アンド・プロジェクトとは、1968年にアドリアン・ファン・ラヴェスティーンとギールト・ファン・ベイレン・ベルゲン・エン・ハーネゴーヴェンによって設立された、美術業界的には重要とされているギャラリーなのですが、設立者たちは「ギャラリー」という言葉を避けており、新しい芸術を試みる機関として発足されました。彼らはブルティン (bulletin) というニュースレターを刊行し、展覧会はオブジェを必要とせず印刷物のみで成立しうるという考えを推進するに至ります。これは、コンセプチュアル・アートという美術史上の流れというよりは社会的な流れが関係していて

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 (中略) 1968年パリで、反・体制順応主義が頂点に達した。全てのものが変わらなくてはならず、それは美術画廊も同様だった。 (中略) 公衆の参加ということが芸術作品を実現する上で非常に大切になってきた。これらは私たちが発明したのではない、もう既にそういう空気だったのだ!私たちがブルティン (ニュースレター) に力を注いだのは、うちが地理的に孤立していたからだ。前もって情報を知らせておけば、公衆は市の中心部からうちの方までわざわざ来てくれるのではないかと思った。中身の2ページは、アーティストに彼らの考えを提示してもらうようにした (中略) 

(4 アート・アンド・プロジェクト (1969年〜73年) より抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

と、設立者の一人であるラヴェスティーンが当時を振り返っています。

 

当時日本に住んでいたラヴェスティーンの父や中原佑介との繋がりもあって松澤とアート・アンド・プロジェクトは出会います。「オブジェを消せ」や言葉や記号による概念芸術を標榜する松澤とブルティンの相性はぴったりだったと言えるでしょう。松澤は3度にわたりブルティンに登場します (21号、42号、84号)。

 

しかし、松澤の目指す「消滅」がオブジェにとどまらず、個人という単位にまで及ぶ思想であったため、フリー・コミューンへと至る過程で袂を分つことになります。松澤は松澤の思想に呼応した者たち「ポスト・ニルヴァーナ」のブルティンの発行をアート・アンド・プロジェクトに依頼しますが、何回かのやりとりの後、提案は退けられました。その理由は、他のブルティンは一人の作家によるもので、ポスト・ニルヴァーナのような集団によるものは異質、というものでした。この章は以下の文で締めくくられています。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アート・アンド・プロジェクトにとって「コミューン」はあくまでも個人の集合体であって、同じ思いを共有する複数の心の共同体ではなかったのである。

(4 アート・アンド・プロジェクト (1969年〜73年) より抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

この一連の出来事からも、松澤の芸術活動が欧米の美術史で語られるコンセプチュアル・アートとは一線を画すものであると言えます。

 

 

今に通じる松澤宥の魅力

 

見た目からアートを好きになろう、という当サイトにおいて、概念を主軸に置く松澤の作品は正反対の要素を持っているとも言えますが、読売アンデパンダン展に出品していた頃の「函」(ハコ) 等の作品群や、アッサンブラージュ/インスタレーション/アーカイブなどの要素が入り混じった「プサイの部屋」、テキストや記号による作品に及ぶまで、視覚的魅力に富んでいる作家という印象が強いです。本書が刊行された2018年より後にもパープルーム主宰の梅津庸一さん企画による「オブジェを消せ」以前の松澤の作品群の展覧会が2019年、2020年と行われています。

 

 

下諏訪では生誕100年を記念し各所で「まちなか展覧会」が開催され (2022年3月21日まで)、現在生活している老若男女にも広く松澤が受け入れられていることが新鮮でした。すみれ洋裁店、Cafe Tac、ninjinsanの3店舗では、展示する松澤の作品選びから主体的に関わり、同じ作品をそれぞれが考えた見せ方で展示するなど、興味深かったです。

 

各店舗の店頭。


 

 

松澤は早稲田大学建築学科を卒業後、一時期は東京で仕事をし、また1955年にフルブライト交換教授として渡米後2年ほどアメリカでの滞在経験もありながら、いずれも下諏訪の地に戻っています。4社ある諏訪大社、御頭祭、御柱祭、御神渡り等、謎めいていて、知れば知るほど興味が湧く諏訪の神秘と、一見難解でありながら人を魅了してやまない松澤の思想や作品は切っても切り離せないものではないでしょうか。

 

諏訪大社で重要とされる御柱は、ここからが聖域であるという境界を示すために立てられる柱ですが、1964年に「オブジェを消せ」という掲示を受け「荒野のアンデパンダン」展で「生命の水源」の聖地に無形のものを届けるよう呼びかけた松澤の境界と通じるものがあると思うのです。松澤の呼びかけは「物体=オブジェとそれ以外」の境界を曖昧にさせるようにも感じますが、「あなたの出品物はあなたの手もとに置いて それから発する無形のもの (虚の作品) を会場まで届けてください」とあることから、ものは存在しており、その発するものを限られた場所に届けるという、ものにも場所にも存在するであろう境界を強く意識しなければ行えない行為です。そして何かが集まりやすい特別な土地というもの、ゼロ磁場というような土地の存在を新たに作り出す試みであるとも言えます。松澤の、指示とも取れる作品は、答えを与えるものではなく考えを促すツールとなっています。

 

本書は、私たちが信じている「形あるもの」ではなく「無形のもの」に意識を向けさせる松澤の活動や思想を、より深く理解するための手引書ともなります。メタバースのような仮想空間が大きな話題となる昨今、松澤の求めた無形のものとは、カタストロフィーとは何なのか、を改めて考える必然性を感じました。

 

残念なのは本書の入手方法がネットなどの通販では見当たらないことです、、、。今後販売状況について変更がありましたらページを更新して対応したいと思います。


関連商品リンク

 



関連記事