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感想 山下拓也 個展 「愛、嫉妬、別れ (ムンクやカニエをサンプリングして)」

 

山下拓也 個展

「愛、嫉妬、別れ (ムンクやカニエをサンプリングして)」by TALION GALLERY

 

会 期:2023年3月15日(水) - 2023年4月2日(日)

時 間:火~金 11時-19時 / 土日祝 11時-17時

休 廊:月(祝日の場合は翌平日)

場 所:CADAN有楽町

企 画:TALION GALLERY

展覧会URL:

https://cadan.org/cadanyurakucho_taliongallery/

 

 


 

2023年2月17日〜19日に開催されたEASTEAST_TOKYO 2023 にて、会場の様々な場所に展示されたペイストアップ (アート作品を貼り付けるストリートアート) の作品が印象に残っていて、山下拓也さんの作品と知りました。

 

以下3枚は「EASTEAST_TOKYO 2023」会場風景画像です。ご参考まで。

 

会場内で不意に、そして繰り返し遭遇するイメージは脳裏に残る、、、。


EASTEAST_TOKYO 2023の会場の壁にあった木版画の原版。山下さんは基本、原版を残さないそうで、こちらの原版も会場の撤去と同時に破棄されたそうです。


 

 

 

 

 

本展「愛、嫉妬、別れ (ムンクやカニエをサンプリングして)」は、山下さんが経験した私的出来事に端を発し、ある期間の内に激しく襲われた「愛、嫉妬、別れ」の感情を "製版" から "刷る" ことを通して表現されたインスタレーションです。自身の中に渦巻く "どうしようもない感情" を "昇華しようとする試み" のように感じました。

 

そのような経緯もあってか、本展では展示されている原版が作品として販売され、「破棄されない」という道を辿ることになっています (破棄されないことの考察は後ほど) 。

 

 






 

 

 

この「山下さんが経験した私的出来事」について、どこまではっきり書いていいのか不明ですが、展示会場に行けばおのずと分かることなので、以下、プリントの言葉を画像で載せておきます。

 

こちらを踏まえて再度細かく展示を観てみます。

 

展覧会タイトルにあるムンクは「叫び」で有名なエドヴァルド・ムンクのことで、感情を表現していたり、何度も同じ絵を描いていたり、版画作品で愛、嫉妬、別れなどをテーマにしている作家です。

 

また、会場のプリント資料によると、山下さんは元々音楽、特にHIPHOPが好きでよく聴いているそうです。会場にはHIPHOPが流れています。その悲哀な内容の歌詞が自分の気持ちと共鳴することに気づき、作品内の英語の詩にカニエ・ウェスト、キッド・カディらのリリックを引用しています。刷られている紙も一枚一枚それぞれ異なる模様が施されていて懊悩を表しているようです。

 

 

 

「木版でPLAY! (No hard feeling) 」 右下:「木版のPlayer (No hard feeling) 」

(和訳:会場のプリントから転載)

恨みっこなし

でもこれらの気持ちは強くなる

恨みっこなし なし でもこれらの気持ちは強くなる

 

 

 

「木版でPLAY! (Maybe so, maybe not) 」 右奥下:「木版のPlayer (Maybe so, maybe not) 

(和訳:会場のプリントから転載)

彼らは、私はそのうち回復するって言う。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ゆっくりやれば大丈夫。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

 

 

左:「机でPLAY! (Leaking out) 」 右:「机のPlayer (Leaking out) 」

机で? 机の、、、とは? (この考察も後ほど)

 

(和訳:会場のプリントから転載)

でもやれることは全部やった 全部やったんだ

なぁ 全部やったんだ

この内出血を止められない

私の心が漏れている

心が漏れ出している

 

 

 

「木版のPlayer (Fade away) 

(和訳:会場のプリントから転載)

誰もいないとき (それが消えてゆくのを感じる)

私は考えすぎだと思う (それが消えてゆくのを感じる)

誰も見ていない (それが消えてゆくのを感じる)

私はただ消え去る。

 

 

 

韻を踏むという性質もあって、リリックの内容から想起される感情が何度も浮かんでは消えるように繰り返されるHIPHOPと、何枚も刷るという版画には共通点があるように思えてきました。版画 ≒ HIPHOP 。

 

版画は印刷と異なり、原版の耐久性の問題から、徐々に摩耗して刷れなくなってくることなども、気持ちや感情がだんだんと薄れていく (かもしれないし、そうじゃないかもしれない) ことに重ねて考えられるのも興味深いです。

 

今回、原版を販売しているのは、誰かの手に作品として渡ることで「このどうしようもない現在を、感情もひっくるめてそのまま摩耗させずに、永遠にする」ためなのかも? 少なくとも「破棄は出来なかった」と想像します。

 

 

そして、とんでも無い量の作品もありました。

 

 

 

「【後悔】で頭の中がいっぱい!」

このアクリルボックスの中にある紙全部、刷られています。そして、この紙も「漉き」の段階から作られているそうです。これだけの量を漉いて、刷って、それでも頭の中がいっぱい! だったんだろうなぁ、、、。

 

「【後悔】で頭の中がいっぱい!」(別角度より撮影)

あんなこと言わなきゃよかった

 

【後悔】している女の人に見えます。これは深読みかも知れませんが、これが表すものは、山下さん自身ではなく、相手のほうの感情です。相手の感情まで引き受けようとすると、より "どうしようもなく" なり、山下さん側の傷を抉ります (そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。) 。

 


 

「【疑心暗鬼】で頭の中がいっぱい!」

 

「【疑心暗鬼】で頭の中がいっぱい!(別角度より撮影)

その人だれ?? すっごく仲が良さそう

 


 

「【嫉妬】で頭の中がいっぱい!

 

「【嫉妬】で頭の中がいっぱい!(別角度より撮影)

自分より若くて才能のあるやつがどんどん売れてゆく

 


 

「【狂気】で頭の中がいっぱい!

 

「【狂気】で頭の中がいっぱい!」(別角度で撮影)

このままだとマジで気が狂う

 


 

 

 

そして、存在感のあるこの作品です。

 

「The Woodcut printings from the bedroom」

from the bedroom、、、

 

その意味は以下をご参照ください👇

おおぅ、、、おお、、、。

 

エモい、なんていう言葉で片付けて良いのか (良くない) と思いますが、とても「きゅうううぅぅぅ」となります。別れた妻と8年以上過ごした寝室の床板に、その彼女が描いたイラストを彫って刷った木版画です。こうやって言葉で書くとさらに破壊力を帯びる気がする、、、。


本作品は15分6秒の映像があります。

寝室の床板を彫っている様子が映し出されています。体力的にもハードな作業なので、山下さんの乱れた呼吸も収録されているのですが、"どうしようもない" を "どうにかしよう" と、もがいている息づかいに聞こえてきます。その呼吸とHIPHOPが重なっています。

 

実際、"作品にする" "作品をつくる" ということは、ある程度 "作家が主導権を握る" ことだと思っています。最近の個人的な関心が「作者の受肉」ということにある、と他の感想記事にも書きましたが、作者が作品内において「全知全能の神」として振る舞うよりも、ある程度不自由な部分を作品内に受け入れることがモダニズムなのではないか、という話です。しかしながら、作者が自由に出来ない部分がほとんどだとそれも作品にはならない、という考えも同時に持っています。主導権を持つ部分と不自由な部分との程度の問題であり、その程度の具合は、神が受肉してイエスとして生まれた、という「存在」に似ている、ということを考えています。イエスは色々と奇跡を起こせますし、神の意志と同体であるのです。この辺の私の関心はもう少しちゃんと思考を重ねてまとまったものにしたいと考えています。

 

話が逸れましたが、山下さんの "どうしようもない" ことは、山下さんが作品にすることで、わずかにでも主導権を取り戻したことになります。原版を刷り減らさず他の人に受け渡し、現在のままにする、そういったことも山下さん本人が決定可能になります。

 

 

 

ところで勘の良い方はお気づきかと思いますが、作品のモチーフは「前に彼女が描いたイラスト」とあることから、元奥様はイラストを描く人だったんですね。

 

前掲した作品「机のPlayer (Leaking out) 」とは、彼女が使っていた机に彫った木版画だったのでしょうか。

 

 

「机のPlayer (Leaking out) 」(部分拡大)

改めて見直すと、これは確かに机っぽい、、、?

 

左:「磨かれきった記憶」

右:「嘘かもしれない一言をずっと大切にしている」

大丈夫! あなたは天才だから


 

「四角いDMちゃん」


 

 

 

途中の脱線で、作者が作品にすることで "どうしようもない" ことの "主導権を握る" ことなどを述べましたが、合わせて、ソフィ・カルの「限局性激痛」という作品も思い出されました。ソフィ・カルの「限局性激痛」はカルの個人的な体験を軸に、「それ」が起こるまでの、本人が無意識に感じているであろう不穏さが散りばめられた第1部と、「それ」が起こった後、「激痛」が癒えるまでのグラデーションを追う第2部で構成されていて、全く違う作品ではあるのですが (何より山下さんの展覧会では「癒える」かどうかも未知数です) 、個人的な体験が作品になることで一般化される過程が似ているように思います (興味のある方はぜひググってみてください) 。

 

とはいえ、カルと違って、私の心をより鷲掴みにした本展の一番の魅力は、HIPHOPと版画の類似性に気づかせてくれたこと、だと思います。何と言ったらいいでしょうか、アート作品の展覧会に来たのに、部屋で一人、お気に入りの音楽と向き合いながらそのリリックやフロウに自身の感情を擦り合わせていくような感覚になりました。音楽によって得られる没入感を持ってアート鑑賞が出来たということです。音楽を楽しむようにアートを楽しむ、ということが、理屈じゃなくて体験したこととして私の記憶に刻まれました。

 

(完全に余談ですが、これを機にサイトの「アートを見た目で音楽ジャンル分け」の項目に「HIPHOP」を追加しました。もともとジャンルは増やそうと思っていたのと、複数のジャンルに存在するレコードがあるように、このジャンル分けも、よりカオスにしていきたいと思います)。

 

初デートにはおすすめ出来ないかも知れませんが、上記の理由から、音楽を聴きにいくような感覚でも観に行って欲しい展覧会です。普段アートの展覧会に行かない方はどう感じるのか? ということにも興味があります。ぜひ、足を運んでみてください。

 

 

 

 

 

展示風景画像:山下拓也「愛、嫉妬、別れ (ムンクやカニエをサンプリングして)」@CADAN有楽町 2023


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