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雑記 2024/07/08 乳がんと都知事選。冷笑しぐさはとっくに死んだ

 

ブログ記事の更新が滞っていた。

 

 

理由その1

5月末に乳がんと診断された。

 

自分も全く知らなかったことだが、早期発見だからといって軽く済むわけではない。

身体の一部を切除する。そして浸潤性のがんのため、手術後も全身に広がった微小のがんを薬物なりで抑える必要がある。調べたところ、最低5年とあった。

 

まぁまぁショックだった。精神的なダメージを癒すために余暇はひたすら寝ていた。しばらくは空っぽでいた。

 

 

 

理由その2

東京都知事選がはじまった。

 

実際のところ、私は都民ではない。だがほんの数年前までは都民だったし職場も都内だった。

 

個人的に推したい候補がいたため、Xがその情報でいっぱいになった。都内の知人にも連絡した。思考がアートから離れた。

 

 

 

 

そもそも、なんで私はアートの感想をこうやってブログに書くことができるのか。

 

身体が健康だからであり、社会がそれを許してくれているからだ。

 

だから上記2つの理由は、アートの感想ブログを続ける上での根幹として、私の関心を奪った。

 

 

 

 

7月7日、東京都知事選の結果が出た。私が推していた候補は当選しなかったが、それはそれ。ここでとやかく言うつもりもない。

 

だが、この一見関係なさそうな出来事を通して、なんだか自分がものすごく怒っていることに気づいた。

 

たぶん、今までの自分に向けての怒りでもある。

 

そいつは何か。

 

 

アートが「ゆるふわ」で良いわけないだろう!

 

そんな怒りだ。

 

 

私はこの世界で作品を作ることも発表することも、政治的なこととは無縁でいられないと思っている。

ゆるくてふわふわしていられるのも、根幹には政治が関係している。

 

近代美術史を軽く紐解いてみてもすぐわかることだ。日本人がよく好む印象派を例にしようか? 「印象派」とは蔑称から取った呼び名である、と多くの人が知っている。権威としてのサロンに対抗した彼らの表現が、なんら政治的ではないとは言えないはずだ。

 

 

今回の都知事選では、まるで「アートに政治は持ち込むな」と主張するかのように、普段アートの話をしている層からは一貫してダンマリな空気を感じた。

 

私が接している限られた情報の中のことなのかもしれない。しかし、情報の偏りを差し引いても、一体どうしたというのだろう。アート界隈が普段うっすらバカにしているアニメ的萌え絵のファン層のほうが都知事選に関心を示しているように見えた。

 

 

 

なぜなのか。

ゆるふわの原因はどこにあるのか。

 

作品の普遍性を求めるあまり、すべてを俯瞰し、物事に絶対はないと悟り、当事者になることを冷笑するしぐさに慣れてしまったのか。

 

完璧に正しい思想はない。と同時に完全に間違っている思想もない。不完全であることを理解した上で自分がどの立場に立つのか、それを決めることが覚悟である。

 

 

 

徹底的にゆるくてふわっとしたものを貫くことが一つのカウンターだとしても、そういう立場に立つ人ほど自分を理解しようとしない。逃げている。逃げずに、その主張を思いっきり突きつけて見せればいい。そこまで主張している作品はあるのだろうか? 「ゆるくてふわっとしていたいんです」ってステートメントに書いたらいい。それが一つの主張になる。ゆるふわでも作品売れてます、と言うなら、アートマーケットを批判することはできないはずだ。マーケットの盛り上がりの影響で売れてる自覚はあるのか。作家ばかりがゆるふわなわけでもない。私のような感想書きもそうだ。今のところ、ゆるふわのやつが一番搾取しようとしているように見える。卑怯だ。

 

 

私は草の根のアートの中に、大衆の主張があるものと思っていた。だが今はわからなくなった。そんなもののために感想を書くつもりもない。命は有限だ。

 

 

 

手術と術後の治療期間を考慮すると、しばらくは感想記事は更新しないだろう。だが、再開する際には書く内容を多少リニューアルするつもりでいる。

 

今まで以上に偏ったものにする。しなければならない。

 

 

 

当事者にならずに冷笑するしぐさは、面白くもなんともない。もうとっくに死んだのだ。